天草土人形
種類:土人形
制作地:熊本県天草市(旧 本渡市本町)
現制作者:廃絶 (「天草土人形保存会」により技術の継承・製作)
※「天草土人形」と書いて「あまくさどろにんぎょう」と呼ぶようである
初代 | 広田和平 | 生没年不明 | |
二代 | 広田金蔵 | −1817 | −文化14年 |
三代 | 広田政吉 | −1879 | −明治12年 |
四代 | 広田利八 | −1922 | −大正11年 |
五代 | 広田富造 | 1882?−1952 | 明治20年?−昭和27年 |
六代 | 広田力造 | 1889−1973 | 明治22年−昭和48年 |
七代 | 広田元一 | 1926−1975 | 大正15年−昭和50年 |
唐津の浪人、広田和平が享保二年(1717)に仏像などをつくり始め、後に人形制作を始めて天草土人形が創始された。三代目政吉の代に制作技術が高まり、四代目利八の代に全盛期を築いた。終戦後昭和24年(1949)頃から七代目元一により制作が再開されたが、需要も減り昭和27年(1952)制作が中止され廃業し広田元一は転業した。人形作りは好きだったようで古い型は分散させず保存されていたという。地元では「本町人形」、「ドロ人形」などとも呼ばれ親しまれてきた。平成14年に「天草土人形保存会」が結成され、技術の継承・製作に取り組んでいる。
天草土人形は独自の型も多く、それ以外にも古い博多や弓野などの抜き型をはじめ津屋崎や帖佐の型なども見られる。郷玩文化no.153(奥村寛純)によれば150種類の人形一覧があるが猫は載っていない。しかし「動物ものとして犬・猫・牛・今・鳥など身近な動物もよく作られた」、「猫や狗(犬)などに穴をあけて貯金玉をつくっている」とあるので猫の貯金玉は存在したのであろう。
※廃業時に残っていた土人形は本渡市立本町中学校(後に天草市立品町中学校)に寄贈された。その本町中学校も2010年に統合され天草市立本土中学校となり別の地に移転した。旧本町中学校は天草土人形保存会の作業場となっているようである。現在も寄贈品が保管されているかは不明。
天草土人形の招き猫は他で見たことがなく、情報不足につき別産地である可能性もあります
しかしもう一体天草の覚え書きシールを貼ったほぼ同じ招き猫を入手でき、先の人形の底にある裏書きや底の作りから天草土人形と判断しています。
控えめなひげ | 黒の斑のまわりに薄い縁取り |
後ろに硬貨用の穴が開けてある | |
底の天草の文字は 後書きかどうかはわからない 全体的にずんぐりとした体型 左手挙げ 白に黒斑で黒斑にまわりに灰色のぼかし 尻尾はない 耳は黒で中は赤で彩色されている ひげは短く控えめ 赤い首玉に金の鈴 首玉のすぐ上に硬貨の投入孔がある 底面は押し込まれて天草人形の特徴を示す 赤っぽい土には雲母が混ざる 高さ102mm×横80mm×奥行81mm |
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以前入手したものは汚れや欠けがあった。最近状態のよい個体を入手した。
サイズやつくり、面相もほぼ同じで同じ作者による 作品の可能性が高い 覚え書きシール?に「天草」とあるので おそらく天草土人形の招き猫で間違いないだろう。 何とか確証が欲しいものだ 底には所有者が書いたと思われる 鉛筆書きのような文字があるが判読は不能 高さ103mm×横78mm×奥行81mm |
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以前の所有者が貼ったと思われる 紙シールが背中にある 左のシールには「天草」の文字が読み取れる 右のシールは傷んで判読不能 |
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参考文献
日本郷土玩具 西の部(武井武雄、1930 地平社書房)
全国郷土玩具ガイド4(畑野栄三、1993 婦女界出版社)
郷玩文化no.152、153(奥村寛純 2002 郷土玩具文化研究会)