坊之谷土人形  

坊之谷土人形
 種類:土人形
 制作地:静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町坊之谷)
 現制作者:髙木宏(4代目)
 

髙木弥左衛門(初代)・・・髙木伊三郎(2代目)・・・髙木亀次郎(3代目 1999(平成11年8月没))・・・髙木宏(4代目)
                               髙木つね(2008(平成20年8月没)

髙木家      
初代 髙木弥左衛門 1856-1918 安政3年-大正7年
二代目 髙木伊三郎 1883-1948 明治16年-昭和23年
  戦前から戦後にかけて製作中断期間あり 
三代目 髙木亀次郎 1906-1999 明治39年-平成11年
  髙木つね 1911-2008 明治44年-平成20年
四代目 髙木宏    
       


山田家      
初代 山田貞右衛門     -1907         -明治40年 
二代目 山田貞     -1894        -明治27年
三代目 山田しも 1901- 明治34年- 
       


 坊之谷土人形は明治20年頃、昭代の髙木与左衛門が地元の宝積寺に滞在していた坊が土人形つくりに堪能であったため、副業として作り方を習い・習得して人形作りを始めた。その後、金谷の型を買い入れたり、三河から人形を買い入れて型抜きをおこない人形の種類を増やしていった。髙木家に現存している型は半面のみも含めると300点を超えるという。もっとも古い型は文久2年(1862)の制作年が入っている。髙木家で制作された型も多いとのこと。大部分の型は製品から型抜きで作られたと考えられている。
 農家の副業であるので秋の収穫後から翌春までの農閑期が制作時期であった。
 髙木家の近くの山田家でも同じような人形を制作していた。制作時期は不明であるが、髙木亀次郎の記憶によれば明治末から昭和13年頃まで制作していたという。型は現在でも裏に埋められ保管され、雪だるまの会により調査もされた。
 坊之谷土人形は土びなを飾る風習でもてはやされたが、やがて衣装びななどに取って代わられ衰退していった。さらに昭和に入り戦争の影響で材料の入手がだんだん困難になり廃業に追い込まれていった。
 遠州方面の土人形は「雪だるまの会」で調査が進められる昭和40年代まであまり顧みられることもなかった。武井(1930)やその他郷土人形関係の書籍にもほとんど記載が見られない。
 一時廃絶していた坊之谷土人形であったが、雪だるまの会による、「金谷土人形」、「上新田土人形」、そして「坊之谷土人形」の調査研究によりその存在が再確認された。さらに同会の要請により昭和50年頃になって、かつて制作をしていて技術も継承していた三代目髙木亀次郎により大切に保管されていた型を使い坊之谷土人形は復活した。
 その後、髙木亀次郎・つね夫妻により制作が続けられた。夫妻の没後は子である四代目髙木宏に制作が引き継がれている。
 なお、坊之谷は小字の地名で、それより坊之谷土人形が命名されている。
              

 坊之谷土人形はほとんどつねさんとの合作と言ってもいい。招き猫には大・中・小と特大がある。最近の髙木宏さんの展示では黒い座り(寝)猫も見られる。
 下の三作は大と小と思われる。中サイズも何とか入手しようと思っている。
 基本形は左手挙げの黒と黄色いトラ柄が入った三毛猫。黒猫は後から依頼でつくられたのかもしれないが詳細は不明。金猫、銀猫も少数つくられたことがあるようだ。

 初めて訪問したのは1995年3月であった。中野ひな市との兼ね合いがあったのかもしれない。福の素7号で紹介されたのはその後なのでなぜ訪問しようとしたかは今では定かでない。御前崎の猫塚の画像も残っているのでその訪問を兼ねていた可能性もある。

1995年(平成7年)3月
桜が咲く時期の工房 ここで人形を焼いていた
髙木さんの人形工房は
住居から少し離れた坂の途中にある
そこに建つ家はまるごと人形工房であった
まだフィルムカメラの時代であり、
暗くてブレもあったが

資料のために掲載しておく

しかし、4代目の髙木宏さんは
ますます亀次郎さんに似てきた気がする
下の中日新聞の画像と比較してください
彩色中の亀次郎さん 膠で溶いた絵の具が見える
数多くの人形型 奥に型の並ぶ棚がある
当時から座り猫は製作されていた(左端半分) 彩色の終わった人形たち
桜の木は今も健在(2023)  また桜の時期に訪問してみたい


坊之谷人形の猫

 特大も所有しているが撮影台に乗らないので撮影でき次第アップするつもりでいる。この特大は亀次郎さんが亡くなられたのを知らずに制作依頼に訪問した1999年8月に入手したもの。初七日が終わり、髙木つねさんが制作を再開された時で、最後の一体を現地で入手したもの。おそらく亀次郎さん最後の特大招き猫だと思われる。そのような理由で残念ながら銘は入っていない。

髙木亀次郎作 特大 
coming soon?
正面
背面
底面 残っていたものを譲っていただいたので
亀翁作最後の特大猫と思われる


高さ   mm×横   mm×奥行   mm 
裏書きはない  


髙木亀次郎作 大  
鼻の穴がしっかり描かれている 左手挙げ
黄色の斑に黒の虎柄 しっかり描かれた尻尾
首玉に鈴がないので大と思われる
白猫に薄い縁取りのある黒の斑と
虎柄の黄色の斑が入る
三毛猫
耳の中は赤で彩色されているが、縁は塗られていない
どの猫も鼻の穴は赤でしっかり描かれている
サイズにかかわらず、耳は黒で塗られているので
この猫だけの仕様なのか?
赤い首玉には金で菊
底は紙が貼られて黄色く塗られている
全体にニスが塗られている

卒寿と書かれているので
1995年の訪問時の入手と思われる


  高さ269mm×横165mm×奥行180mm
底は紙が貼られ黄色く塗られている


髙木つね作 小  
赤い首玉に金の鈴 左手挙げ
特徴的な虎柄 尻尾はちょっと控えめ

作りや彩色は上のほぼ同じ
赤い首玉には金の鈴が付く
黒い尻尾は控えめ

91才と書かれているので2000年代初期の作と思われる
亀次郎さんが亡くなられた後、
高齢で小柄な女性では
大きい作品をつくるのは難しかったのか
小さい招き猫をよく見かけた

   高さ144mm×横165mm×奥行180mm
底の和紙には髙木つねさんの銘が入る  

 荒川・板東(1999)に掲載されている招き猫は高さ20cmとあるので、中のサイズにあたるのかもしれない。

虎柄の黒猫 大  
耳の中、口、鼻の穴、首玉以外はすべて虎柄 左手挙げ
裏側まで見事な虎柄

これでもかというくらい黒猫に金で虎柄が入る
ここまで豪華な全身虎柄の
招き猫は珍しいのではないか

赤い首玉には菊と不明の柄が入る

坊之谷土人形には菊・桜・梅などの
花びらやつぼみが描かれているとあるので
それらにあたるのであろう

サイズは上の白(三毛)猫大と同じ
裏書きは髙木つねさんか?
首玉に描かれているのは菊柄 こちらはの柄は何か?


 他に猫ものの作品としては「座り猫」や「猫抱き娘」がある。

座り猫  
髙木亀次郎作
横約200mm
面相は招き猫と同じ
黒い斑の白猫 黒く長い尻尾
赤い首玉には鈴が3個付く


掲載許可を取っていませんのでご連絡いただければ
正式に許可申請をします


猫抱き  

髙木亀次郎作(84歳)

 高さ約190mm×横約170mm

おもちゃばこ 日本土鈴館より






   「ねこれくとアーカイブス」 坊之谷土人形の亀次郎翁



  菊川・焼き雛「坊之谷土人形」、梅まつりで公開 4代目高木さん  中日新聞2022年2月5日 (リンク切れの場合はねこれくと内のPDFファイルへ)
  ふるさと教本きくがわ 「小笠に残る焼き雛」 菊川市教育委員会社会教育課(2024) ねこれくと内PDFファイル
  日本雪だるまの会 2012年度8月例会報告
  坊ノ谷土人形  ブルータスみやげもんコレクション180 (マガジンハウス)


参考文献
静岡の郷土人形(古谷哲之輔、1996 日本雪だるまの会)
招き猫尽くし (荒川千尋・板東寛司、1999 私家版)
福の素7号(日本招猫倶楽部会報、1995)
日本郷土玩具 東の部(武井武雄、1930 地平社書房)
全国郷土玩具ガイド2(畑野栄三、1992 婦女界出版社)
おもちゃ通信200号(平田嘉一、1996 全国郷土玩具友の会近畿支部)
招き猫博覧会(荒川千尋・板東寛二、2001 白石書店)