百々人形(どうどうにんぎょう) 種類:土人形
制作地:岡山県久米郡美咲町百々 (旧久米郡棚原町百々)
現制作者:百々人形保存会
福田弘一( −1967)
中西熊夫( −1989)・中西政子( − )
百々人形保存会
※「百々」は人名の姓では「どど」と読むことが多いため「どどにんぎょう」と紹介されていることが多い。制作地の集落の地名は「どうどう」なので「どうどうにんぎょう」と呼ぶのが正しいようである。
廃絶した美作泥天神を小型化して残そうとした福田弘一は昭和8〜10年(1933〜35)ころ京都の清水豆人形の土人形作家加納豆坊氏に会い、そこに発想を得て、若い中西熊夫と共に制作を始め小型化した天神を作り上げた。中西が制作、福田が販売を手がけた。制作に関しては技術を受け継いだわけではないので試行錯誤の研究の結果、量産するにいたった。他の土人形も制作をし種類もかなりの数を数えた。昭和35年百々人形を残し、地元を応援するため「未亡人会授産場」を発足させ制作をおこなった。その後授産場は閉鎖されてしまい、昭和42年(1967)福田弘一も死去してしまった。それ以降は中西熊夫夫妻により制作が続けられ、制作販売を続けた。平成元年(1989)に中西熊夫が亡くなったが、妻の中西政子により少数制作は続けられたが制作はいったん途絶え廃絶状態となった。中西の制作を手伝った者によりしばらく制作はおこなわれたがこれもすぐに途絶えた。
2009年になり百々人形を復元・再興するため百々人形保存会が立ち上がり、現在も保存会によって制作は継承されてワークショップなども開かれているようである。制作にあたり古い型は残っていたがすでに使用できない状態になっており型作りから始めたという。制作されているのは土鈴が中心のようで、招き猫をはじめとする土人形の型がどのような状態で保存されているのかは不明である。百々人形保存会は統合により廃校となった北和気小学校跡にある北和気郷土館を中心に活動しているようだ。
土人形は天神が主であったが、その他の土人形も若干制作していたようである。制作の中心は土鈴に移っていきその種類はひじょうに多かった。
北和気郷土資料館 岡山県久米郡美咲町百々417−1
※加納豆坊(勝芳):だるま堂(号) 清水新道で精細なだるまやまじない人形など数々の豆人形を制作していた
左手挙げ | 赤い布の首玉に鈴 | ||
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かつてネットオークションに出品されていた百々人形の招き猫。招き猫尽くし(1999)に掲載されている作品と同じ個体のようである。
関西の著名蒐集家の旧蔵品であるという。
天神以外の百々人形は土鈴が多いが、この招き猫は土鈴にはなっていない。底の覚え書きには福田弘一作とあるが制作は中西熊夫が担っていたようなのでどのようなものか。福田弘一も制作していたかは不明。百々人形の招き猫に関しては極めて情報が少ないので詳細については不明な部分が多い。招き猫尽くし(1999)の百々人形の制作者に福田弘一とあるのはこの裏書きによるものと思われる。
参考資料 | |
残念ながら手元には百々人形の招き猫はない 唯一あるのはこの土鈴である 釉薬を塗った雌猿がカエルをおんぶしている 小型の土鈴で作品名は不明 地元の民話かと思い調べてみたが、 猿と蛙の逸話は全国にいくつかあるが どれもこのシチュエーションには合致しない 単なる構図の面白さではなく、 おそらく民話や言い伝えを 題材としているとしている思われる 高さ55mm×横40mm×奥行き40mm 北和気郷土資料館の展示品画像を 見ると画像が小さいので詳細は分からないが 招き猫のようなものが一点あったが 今回の招き猫とは形状が異なる 猿の作品がけっこう多いことにも気がついた |
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「三猿」 吉永義光(1975)より |
郷土玩具の『百々人形』を守り伝える アットタウンWEBマガジン アットストーリー
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郷土玩具「百々人形」の伝承、普及の推進活動 公益財団法人福武教育文化振興財団 (ねこれくと内のファイルへ PDF)
北和気美術館・焦土資料館 百休庵便り(個人ブログ)
参考文献
招き猫尽くし (荒川千尋・板東寛司、1999 私家版)
全国郷土玩具ガイド3(畑野栄三、1992 婦女界出版社)
おもちゃ通信200号(平田嘉一、1996 全国郷土玩具友の会近畿支部)
日本の土人形(俵有作、1978 文化出版局)
全国郷土人形図鑑(足立孔、1982 光芸出版)
日本郷土玩具事典(西沢笛畝、1964 岩崎美術社)
土の鈴(石山邦子、1994 婦女界出版社)
岡山文庫63 岡山のおもちゃ(吉永義光、1975 日本文教出版)
京洛おもちゃ考(奥村ェ純、1981 創拓社)