江戸張り子(いせ辰)      

江戸張り子(いせ辰)
 種類:紙張り子
 制作地:東京都台東区谷中
 現制作者:菊寿堂(きくじゅどう)いせ辰(販売) いせ惣(制作)
   

       
初代 広瀬辰五郎 1832−1888  天保3年ー明治21年
二代 広瀬辰五郎(芳太郎) 1864−1897  元治元年−明治30年
三代 広瀬辰五郎(鐘三郎) 1878−1946  明治11年−昭和21年
四代 広瀬辰五郎(正雄) 1906−1994  明治39年−平成6年
五代      



 下総国千葉郡鷺沼村(千葉県習志野市鷺沼町)出身の初代広瀬辰五郎は天保14年(1843)に日本橋堀江町の地本問屋・団扇問屋の伊勢屋惣右衛門に奉公し、やがてのれん分けをして同じ日本橋堀江町に錦絵と団扇制作の問屋「伊勢辰商店」を元治元年(1864)に創業した。浮世絵だけでなく手摺り千代紙やおもちゃ絵の版元としても商いをおこなった。

江戸時代の堀江町付近


江戸明治東京重ね地図より
安政3年(1856)を元にしている
 
明治末の堀江町付近
伊勢惣の名がある

江戸明治東京重ね地図より
明治40年(1907)を元にしている
 


 二代目辰五郎の時代の明治3年に神田弁慶橋(元岩井町(現在の岩本町))に移転し、浮世絵・団扇や扇子以外にも江戸千代紙をやそれを使った品で販売を広げた。明治21年(1988)初代辰五郎が亡くなると二代目辰五郎を継いだ。二代目の時に浮世絵版元として「菊寿堂」を称した。しかしその二代目辰五郎も明治30年若くして亡くなってしまった。

 江戸時代の神田弁慶橋付近
(元岩井町と同じ)

※牢屋敷は小伝馬町牢屋敷



江戸明治東京重ね地図より
 

 その後を鐘三郎が三代目を継いだ。この代では現在でも作品が多く残る多くの画家の版元となり、江戸千代紙も評判を得た。三代目の時に「いせ辰」と店名を改めた。業績を順調に伸ばしたが、大正12年(1923)の関東大震災で店舗と共に浮世絵や千代紙の版木や資料が焼失してしまう。しかし古や弟子などにより千代紙の版木を復刻して復活させた。昭和17年(1942)に谷中に移転。しかし昭和20年の東京大空襲で再び店は焼失した。三代目辰五郎は昭和21年(1946)に亡くなった。
 店は焼けたが版木は移してあったので焼失を免れ時代の落ちつきと共に四代目辰五郎によっていせ辰は再興された。この代より現在の「菊寿堂いせ辰」と号している。現在は五代目は4人の兄妹により引き継がれているということだが辰五郎の襲名はどのようになっているのかは不明である。

いせ辰の歴史に関しては四代目辰五郎の
「江戸の千代紙 いせ辰三代」が詳しい


 張り子はいせ辰とはゆかりのある埼玉県の「いせそう」が制作しているようだが、どのような工房かは不明である。この2点は「いせ辰」の銘が入っているが、それ以外にも「いせそう」、「八幡張子いせそう」、「江戸張り子いせそう」、「八幡張子いせそう 五代目飯田」などいろいろな銘や表記がある。(下の画像参照)
 初代が奉公・修行した伊勢惣と関係があるのか?
 いくつかの張り子にある五代目飯田省三という銘が気になった。どこかで見た記憶がある。調べていくとかつていせ辰の千駄木店で展示販売、飯田さんによる制作が見られる時もあったようだ。飯田さん自身は埼玉に住まいを移し、千駄木店も令和4年(2022)に谷中店と統合されている。もしかすると五代目の4人の兄妹の方だろうか?飯田省三は牧野・他(1971)では埼玉県上尾市となっている。
 

いせ辰の黒猫  
赤い大きな首玉に鈴 左手挙げ
首玉の結び目は大きい     背中に松竹梅
左手挙げの黒猫
白い丸目に黒い瞳
鼻は白、ヒゲは金、耳と口は赤で描かれる
足先は白で描かれる
赤い首玉の結び目は大きく立体的なつくり
黄色の鈴が描かれる
背面には松竹梅が描かれる
底に彩色の時に串を刺した穴を
埋める紙が貼ってある


高さ   mm×横   mm×奥行   mm
 
底にいせ辰の銘が入る  

    

白の親子招き猫  
白に黒い斑の親子猫 青い前垂れをつける
大きな赤い結び目  尻尾はない
親子共に白猫に黒い斑
親は左手挙げ
仔猫は右手挙げ
横長の黒い目にキャッチアイ?
鼻はピンク、ヒゲは銀、耳と口は赤で描かれる
足先はピンクで描かれる
親猫の赤い首玉の結び目は大きく立体的なつくり
青い前垂れを付ける
黄色の鈴が描かれる

子猫にも赤い首玉と黄色の鈴

底に彩色の時に串を刺した穴を
埋める紙が貼ってある


高さ150mm×横91mm×奥行103mm
 
底にいせ辰の銘  

いせ辰の張り子の銘    
@八幡張子 いせそう  五代目飯田 A八幡張子 いせそう B江戸張子 いせそう
@〜BEおもちゃばこ 日本土鈴館より
C象々の郷土玩具より
Dは手持ちの作品より
FG過去のネットオークションより

CとDの書き手は同じと思われる


八幡(やわた?)張子自体が謎である
まったく制作工房がわからない

張り子のいくつかには
「いい田型」や「五代目飯田省三」 の
銘が見られる
C江戸張り子 いせそう   Dいせ辰
E五代目飯田省三 F五代目飯田省三 G東都いゝ田 



    

    いせ辰HP




参考文献
江戸の千代紙いせ辰三代(広瀬辰五郎、1977 徳間書店) ※四代目広瀬辰五郎著
招き猫尽くし (荒川千尋・板東寛司、1999 私家版)
全国郷土玩具ガイド2(畑野栄三、1992 婦女界出版社)
おもちゃ通信200号(平田嘉一、1996 全国郷土玩具友の会近畿支部)
郷土玩具1紙(牧野玩太郎・稲田年行、1971 読売新聞社)