全国招き猫図鑑
久ノ浜張り子(久之浜張り子)
種類:張り子
制作地:福島県いわき市久ノ浜町
現制作者:廃絶
久ノ浜張り子は江戸時代の文化年間に創始されたといわれる。仙台張り子の流れをくんでいるがひじょうに薄づくりとなっている。彩色は仙台や三春に比べけばけばしいと評されているが、独特の暖かさを持った張り子である。動物ものには首振りとなっているものが多い。また虎や達磨、天狗面なども多く制作された。天狗面の大型のものは鼻の高さが2尺あった。半世紀以上にわたって制作を続けてきた三代目草野源吉が昭和51年(1976年)に亡くなり久ノ浜張り子は廃絶した。
招き猫は張り子にしてはかなり立体的なつくりで首玉の結びは別づくりになっている。底には安定させるための土板が付けられている。
残念ながら私は現物を触ったことがないので薄さや軽さの実感を知りません。昭和5年発行の日本郷土玩具(武井武雄 1930)にも制作品目としてあげられているのでかなり前から制作されているのでしょう。なお、このころすでに制作者は草野源吉と記されています。招き猫はこれ1種類のみのようです。その他に虎の張り子のような首振り猫があります(「おもちゃ通信200号」に写真が掲載されています)。
ところで私は久ノ浜張り子の招き猫は黒猫しか見たことがありません。はたして白猫はいるのだろうかと思っていたところ、郷土玩具図説第7巻のp.391に手書き図版で白猫がいました。他の作品の記載を見ていると、「最近は象も黒く・・・」とあるので黒猫を作り始めたのは遅い時期かもしれません。ちなみに首振り猫は白の斑猫です。
久ノ浜張り子の資料は私の手元に少なく、先代や創始者の名前もわかりませんでした。
久ノ浜張り子の天狗面は航海安全のお守りとして四ツ倉あたりの漁村に、小形のものは祭礼や遠くは京都の鞍馬寺でも売られていたというので、品物によってはかなり販路が広かったようです。
2004年追補
久ノ浜張り子は平で創始された。二代目保太郎の代に久ノ浜に移住した。
昭和51年(1976)2月に三代目源吉が没し、廃絶した。久ノ浜張り子の木型はいわき市有形文化財(民族資料)に指定された。
高さ約210mm この久ノ浜張り子の招き猫は私のものではなく東京在住のYさんの所有物です。 送っていただいた画像をご本人の許可を得て掲載しています。制作時期は1970年代頃のようです。 |
現在も制作されている「いわき張り子」はこの久ノ浜張り子の流れをくむものだということです。もっとも「いわき張り子」自体も江戸期の創始だということです。この地方の漁師にとっては、「だるま」は航海安全、火災にならないための「天狗面」も航海の守護神、笑ってすごせるようにとの「おかめ」は大漁、「虎」は絶対戻ってくるということから航海安全・無事帰港を願う「縁起物」なのだそうです。特に虎の張り子は港町・四倉の船渡八幡神社で毎年9月15日に開かれる祭りでこの虎が多く納められてきたそうです。その「いわき張り子」を制作する三代目村山スズさんも後継者はいないそうです。なお、いわき張り子には招き猫はありません。
久ノ浜張り子共々同じような種類のものが作られ、漁業に町では需要が高かったようです。
追加画像 (2004年9月5日)
再追加画像 (2004年10月24日)
久ノ浜張り子の白い招き猫 新潟県柏崎にある「痴娯の家(ちごのや)」所蔵
コンピュータの入れ替えで過去のデータを確認していたら、こんな画像が出てきました。もちろんここで撮影したのは覚えていましたが、久ノ浜張り子の白い招き猫を撮影したことはすっかり忘れていました。画像の状態はあまりよくないのですが、黒い招き猫とは趣が異なるのがわかります。
痴娯の家とはかつて柏崎生まれの岩下庄司氏が13歳から昭和38年に73歳で亡くなるまで60年にわたり、全国各地から足で集めた膨大な収集品を展示してある資料館です。国道8号線沿いにある柏崎コレクションビレッジの一角にあり、故石黒敬七の「とんちン館」など見所の多いところです。
多くの郷土玩具に混ざり、他ではあまり見ることができない招き猫もたくさん展示してあります。
なお、この写真はご子息でもある館長さんの許可を得て撮影しました。
福島県の展示コーナーにある |
参考文献
日本郷土玩具 東の部(武井武雄、1930 地平社書房)
「鯛車 猫」(鈴木常雄、1972 私家版)郷土玩具図説第七巻(鈴木常雄、1988覆刻 村田書店)
「面守」(鈴木常雄、1966 私家版)・ 「天狗帖」(鈴木常雄、1967 私家版)郷土玩具図説第五巻(鈴木常雄、1985覆刻 村田書店)
招き猫尽くし (荒川千尋・板東寛司、1999 私家版)
全国郷土玩具ガイド1(畑野栄三、1992 婦女界出版社)
おもちゃ通信200号(平田嘉一、1996 全国郷土玩具友の会近畿支部)