古作 越谷張り子   (大沢張り子?)   

越谷張り子
 種類:紙張り子
 制作地:埼玉県越谷市 (旧南埼玉郡大沢町?)
 現制作者:廃絶
 
 越谷張り子(大里張り子)と関連が深いので参照のこと

 今回掲載した招き猫は「人魚洞文庫」データベースにも同じものが見られ、目呂二のコレクションや百猫、あるいはねこ(木村喜久弥(1958)にも見られかなりポピュラーな存在だったと思われる。
 川崎巨泉の「人魚洞文庫」では大正12年に購入した亀戸張り子となっているがこれは購入した場所である可能性が高い。川崎巨泉が描いたこの張り子の背面にも首玉の所に硬貨を入れる穴が開いている。最初から開いているのか後開けかは不明である。しかし川崎巨泉が後から穴を開けたとは考えにくい。
 目呂二のコレクションの画像や川崎巨泉のスケッチにも頭の上に糸が見られるので吊り下げられたのだろう。これは亀戸張り子にもよく見られる吊るしものであったのだろう。
 背面に朱で描かれているのは魔除けの桃か?
 越谷や船渡の張り子猫は販路が東京の亀戸や西新井などにあると産地がわかりにくくなってしまう。

 製作されていたと思われる場所は東武伊勢崎線の北越谷駅東側で越谷張り子(大里張り子)の生産地とも近い。
 下記の鈴木常雄(1988)による短い記述があるが、それよりこの張り子に関しては大沢張り子と呼んだ方がよいかもしれない。



越谷張り子
左手挙げのふっくらした体型 朱で描かれた桃?
独特の面相 東京はおそらく購入地であろう
越谷張り子の古作
吊しものが多かったので
頭にある穴はおそらく糸で吊り下げられた跡
目呂二のコレクションや川崎巨泉の絵にも糸が見られる
川崎巨泉のスケッチもこの猫とほとんど変わらない

高さ約160mm

川崎巨泉のスケッチ後頭部左側に
星のようなものが描かれていて気になっていた
よく見ると吊り下げの赤い糸の端の結び目だった
この人形では確認できない


画像は名古屋のNさん旧所蔵品
頭頂部の穴は糸を付けた跡か?  


文献中に見る越谷張り子  
越谷張り子の招き猫
木村喜久弥(1958)より
出版社の許可を得て掲載

右の猫は目呂二の百猫にもなっている
越谷張り子  
越谷張り子
鈴木常雄(1988覆刻)より

埼玉県南埼玉郡大沢町の張り子とある
戦前で廃絶したようだ
樺色の主色がが目立つ
20cm
ここの張り子は南瓜鼠の首振りもあるという
※主色の樺色とは
どの部分を指すのだろうか?
裏の部分の模様以外考えられない

武井武雄(1930)によれば大沢張り子の
萩野徳太郎は招き猫などを
西新井に出していたようであるが
大正13年(1924)に没して廃絶
型は船渡の松崎新吉に譲渡されたとある
船渡の松崎家では南瓜鼠を
製作していた
ので譲られた型で
製作したのだろう
確証はないがこの招き猫は
萩野徳太郎の大沢張り子の可能性が
きわめて高い


※大沢町は1954年に廃止され
現在は越谷市となっている
この越谷張り子は大沢張り子か?
                
東京亀戸張子猫 (巨泉玩具帖)       画像は掲載できないので左リンク先でご覧下さい






参考文献
招き猫尽くし (荒川千尋・板東寛司、1999 私家版)
郷土玩具1 紙(牧野玩太郎・福田年行編著、1971 読売新聞社)
日本郷土玩具 東の部(武井武雄、1930 地平社書房)
「鯛車 猫」(鈴木常雄、1972 私家版)
郷土玩具図説第七巻(鈴木常雄、1988覆刻 村田書店)
全国郷土玩具ガイド2(畑野栄三、1992 婦女界出版社)
郷土玩具大成第一巻東京編(有坂興太郎、1935 建設社)
ねこ(木村喜久弥、1958 法政大学出版局)
ねこの先生河村目呂二(荒川千尋・板東寛司、2010 風呂猫)
埼玉の張り子(大久保茂、1976 埼玉県立博物館紀要3)
さいたまの職人(斉藤修平、1991 埼玉県立民俗センター)