下小菅人形  

下小菅人形
 種類:土人形
 制作地:山形県米沢市下小菅(旧小菅村下小菅)
 現制作者:小山田亀蔵(廃絶)
   明治末期から大正初期まで小山田亀蔵一代によって制作された土人形。

 俵有作によれば型は相良とは違い新しく起こした独創的なものである。この招き猫は相良とほぼ同寸で形状も似ているが、面相は独特である。

 以下山形県立博物館の秋葉正任の報告によると『相良人形をはじめとする他人形の抜き方が多く、土の成島山のものを使っているという。村山地方から来た渡り職人の小山田亀蔵が大正年間瓦焼きをおこない、冬期間だけ土人形をつくって売ったものであるようだ。亀蔵は1921年(大正10年)ころ死去しているので実質的な制作期間は10年ほどであった。紫がかった黒と赤での彩色が特徴である。当時は春の彼岸過ぎの節句の頃人形の入った風呂敷包みを担いだ女性が売りに来て、毎年1体づつひな壇に増やしていった。地元では亀蔵を「せとがめ」と呼んでおり、窯跡周辺からは多くの瀬戸物が見つかった。亀蔵のやってきた村山地方には東根の猪野沢人形があり、江戸末期より陶器製造をおこなっており、小山田姓の陶工が多く見られる。推測であると断り書きがあるが、「猪野沢人形に接する機会のあった小山田家ゆかりで焼き物製造に関わった人物が移り住んだ可能性が考えられる」とある。』
 この報告書の記述が下小菅人形に関していちばん詳しいように思われる。

 彩色の特徴である紫がかった黒と赤は「招き猫尽くし (荒川千尋・板東寛司)」掲載の招き猫にその特徴がよく現れている。いわゆる亀蔵が多用した「菫黒色」という紫である。
 以前村山地方の小山田姓は古い焼き物製作者の中に見つけて親戚ではないかと気にしてはいた。「せとがめ」という愛称や瀬戸物の遺構からやはり関連が強そうである。
 

高さ約140mm×横60mm×奥行80mm
(横と奥行きは画像より推定) 
刷毛で掃いたようなひげ 尾に彩色はなく虎模様のみ  
裏面まで彩色されている
金の縁取りの耳  
前後2枚の 貼り合わせ面に
見られる筋はヘラ跡か?
補強のために貼る
和紙ではなさそうである。
底も全面胡粉が塗られている  
       
白地に黄色の縁取りの黒い斑点模様
刷毛で掃いたような描き方のひげと眉毛が特徴的
赤い首たまに黒?の前垂れ金色の鈴がついている


別の下小菅人形 ヤフオクより

「黒?の前垂れ」に関しては菫黒色にも見えるがこれだけの画像でははっきりしない。
ちなみにこのヤフオクに出品されていた
下菅谷人形の別作品の画像は一見黒い髪に見えるが紫が入っている。
前垂れもこれと同じような彩色がされている可能性はある。

  招き猫尽くし (荒川千尋・板東寛司)より 





参考文献
招き猫尽くし (荒川千尋・板東寛司、1999 私家版)
日本郷土玩具 東の部(武井武雄、1930 地平社書房)
全国郷土玩具ガイド1(畑野栄三、1992 婦女界出版社)
全国郷土人形図鑑(足立孔、1982 光芸出版)
日本の土人形(俵有作編集、1978 文化出版局)
やまがたの玩具展 図録(山形県立博物館、1983)
山形県立博物館研究報告No.3(山形県立博物館 1975)
山形県立博物館研究報告No.29(山形県立博物館 2011)
山形県立博物館 土人形展リーフレット (山形県立博物館、1982)