多摩張り子 山崎家(山武)
種類:紙張り子
制作地:東京都瑞穂町殿ヶ谷
現制作者:山アトキ・美代子
初代 | 山ア鳥之介 | 1883− | 明治16年− |
二代 | 山ア武一 山アトキ |
1927?− | 昭和2?年− |
三代 | 山ア美代子 | 1961?− | 昭和36?年− |
※制作者は山ア美代子に退職した夫の徳雄、姉夫婦の田中誠・道子も制作に関わる。
多摩張り子の制作者とその譜系はねこれくとの「多摩張り子総論 および古作」(暫定版)をご覧下さい。
多摩の歩み第69号によれば山ア平八の分家ですでにダルマ制作をやめていた制作者から技術を学んだ山ア武一にルーツがあるようである。山アトキ家は山ア平八家の隣(向かい)でもあるので、分家から技術を学んだだけでなく親戚関係にもあると思われる。山ア平八は山ア平五郎の家系で山崎家四代目にあたる。
西の風(たましん週間ニュース)の記事では初代は山ア鳥之介となっている。この山ア鳥之介は兄の山ア百之助から張り子づくりを学んでいる。屋号は「山武」なので山ア武一の流れと思われる。山アトキの夫も山ア美代子の夫も張り子作りはおこなわず女手で張り子制作が引き継がれていった。
※多摩週間ニュースは下記のリンクページを参照のこと
その後、2024年の深大寺だるま市で田中道子さんからうかがったところ、山ア武一(ぶいち)は山ア鳥之介の子で山アトキの夫であることが判明した。したがって上の山アトキの夫も張り子制作をしているので誤認があると思われる。
おもちゃ49・50号(全国郷土玩具友の会 1963)を編集 |
山ア平五郎の繋がりのみを抜粋 |・・・・・会田亀次郎(初代)・・・会田光雄(二代)・・・会田雅志(三代) (猫) | 萩原友吉・・・・・・山ア平五郎・・・・山ア定右衛門(二代)・・・山ア貞三(三代)・・・山ア平八(四代) (猫) (勝楽寺) | | 山ア国五郎・・・・山ア百之助(製作休止) | |・・・・根岸幸次郎(初代)・・・根岸正吉(二代)・・・根岸利夫(三代)・・・根岸 (当代) (猫) | |・・・・・山ア鳥之介(初代)・・・山ア武一(二代)・・・山ア美代子(三代) (猫) 山アトキ ※山ア国五郎:山ア平五郎の弟 山ア鳥之介:山ア国五郎の子で山ア百之助の弟 |
武井(1930)より 2系列が記されている |
山口村勝楽寺 友さん・・・・・・三ヶ島 比留間他1軒(すでに当時)達磨廃絶 | ・・・・殿ヶ谷・・・・・山ア平五郎(当主) | ・・・・村山・岸 ・・・・・小川由五郎(当主) | ・・・・・ 砂川 村野徳次郎・・・・村野喜市郎(当主) | ・・・・小川 椚三五右衛門(喜市郎の妹の嫁ぎ先) 椚仁三郎 村山・岸・・・・・・・ 伊勢屋荒田・・・・・・荒田徳太郎(当主) | | | ・・・・・・箱根ヶ崎・・・・内野兼太焉i当主) | | | ・・・・・・石畑 ※制作者氏名なし ・・・・・・・・三ツ木 鶴屋鐡五郎(伊勢屋の弟) | |・・・・・四之宮(永島) 鐡五郎の娘の嫁ぎ先 | ・・・・・・厚木(酒井) 八王子・・・・・・・武蔵屋竹次郎(当主) ※武蔵屋は師につかなかった 当主:当時の当主 |
現在だるま市などで入手できる古くからあるタイプの多摩張り子の猫は会田家、根岸家、内野家の3軒のみとなってしまった。同じ瑞穂町内の山崎平八家(山崎ダルマ)と山アトキ家でも猫を制作しているが古くから制作しているのかは不明である。
山アトキ家(山武)の張り子はだるまはともかくとして招き猫は比較的新しい型のように見える。少し大きめの常滑タイプに似た張り子もあるが大半は比較的小型のかわいい系の招き猫である。型抜きされた猫は底の土製のおもりが付き、丁寧に胡粉塗りされている。型の凹凸は少なく彩色によって猫が表現されている。挙げている手以外は線で手足の輪郭が描かれている。小判を抱える猫が多いが、その他に小槌や七宝袋など縁起物を持つ猫もいる。
山武の招き猫 | ||
小サイズとさらに小さいサイズの招き猫 | ||
瑞穂町では2軒の山ア家が多摩張り子を制作している 屋号は「山武」で山ア武一の流れをくむ制作者であると 屋号の「山武」は「やまたけ」でも「やまぶ」でもよいとのこと 名刺では東京だるまの呼称を使っている |
小型招き猫 | |
小判を抱える | 左手挙げ |
右手で小判を抱える | 尻尾も輪郭線で描かれる |
丸目で口や爪は赤で描かれる 赤い首玉に金の鈴が付く 白猫にオレンジ色の斑 高さ155mm×横107mm×奥行100mm |
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彩色時の棒の跡を塞ぐ紙片 |
もっとも小型の招き猫 | |
千両小判抱え | 後ろ足を投げ出して座っている |
右手挙げ | 短めの尻尾 |
基本的な彩色は小型と同じ 後ろ足の肉球が見えている 手・尻尾・肉球などからだのパーツは ブロンズで描かれている 高さ98mm×横78mm×奥行66mm |
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彩色時の棒を挿した痕 |
山武の山アトキ家が多摩張り子の猫を制作しているのを知ったのはごく最近のことだったので深大寺だるま市でも意識して撮影していなかった。たまたま撮影した中で選んだのであまりだるま市の雰囲気は出ていないかもしれない。
2007年がデジタル画像で残っているもっとも古いものだった。
圓福寺は瑞穂町にある臨済宗建長寺派の寺で山号を北小山(ほっこさん)、寺号を圓福寺と称している。天正元年(1573)にこの地の豪族・村山土佐守義光のもとで梅室慶香禅師により開山。創建当初は石畑にあったという。その後何回かの焼失や復興をくり返し現在の場所に位置している。
毎年1月18日の初観音で地元の多摩だるま(東京だるま)が集まりだるま市が開催されている。他のだるま市とは異なり多摩だるまのみが出店している。
北小山圓福寺HP
圓福寺初観音だるま市 | ||
毎年1月18日開催 | 山武の店 | 七宝袋を持った招き猫が見える |
屋号の「山武」 | 見かけた中では中央がいちばん大きかった | 地元密着タイプのだるま市 |
西の風「3代続くだるま作り」 (たましん:多摩信用金庫 週間ニュース 2022年12月22日号 第1681号)
西の風 3代続くだるま作り (上と同内容) もしリンク切れの場合はこの「ねこれくと」内のPDFファイルをどうぞ
瑞穂図書館/温故知新 瑞穂町を旅する地域資料 「多摩だるま」
「多摩のあゆみ」 公益財団法人 たましん地域文化財団
第8号(1977 昭和52) 「多摩のだるま」 pp.59−61 有川滋
第35号(1984 昭和59)「ダルマづくりとダルマ市」山上茂樹翁ききがきノート 第四十六話
第69号「多摩だるま」 pp.58−65 大嶋一人
参考文献
招き猫尽くし (荒川千尋・板東寛司、1999 私家版)
郷土玩具1 紙(牧野玩太郎・福田年行編著、1971 読売新聞社)
日本郷土玩具 東の部(武井武雄、1930 地平社書房)
「鯛車 猫」(鈴木常雄、1972 私家版)郷土玩具図説第七巻(鈴木常雄、1988覆刻 村田書店)
全国郷土玩具ガイド2(畑野栄三、1992 婦女界出版社)
おもちゃ通信200号(平田嘉一、1996 全国郷土玩具友の会近畿支部)
招き猫博覧会(荒川千尋・板東寛二、2001 白石書店)
瑞穂町史(瑞穂町史編纂委員会、1974 瑞穂町役場) pp.887−892
多摩の伝統技芸1(下島彬、1990 中央大学出版部)