富山土人形
種類:土人形
制作地:富山県富山市
現制作者:土雛窯 (代表者:古川圭子)
富山土人形の渡辺家3代目渡辺信秀には土人形づくりの後継者がいなかったために、富山市では1983年(昭和58年)より渡辺信秀氏を講師として人形づくりの受講生を募り「とやま土人形伝承会」を結成した。富山の伝統的郷土玩具を守り伝え、人々に紹介するため、1993年(平成5年)に呉羽丘陵にある富山市民俗民芸村内に「とやま土人形工房」がつくられた。
1997年(平成9年)、渡辺信秀氏が83歳で高齢のため廃業宣言し、富山土人形は事実上終焉を迎えた。その後伝承会に受け継がれてきた型・技法により「とやま土人形伝承会」によって制作が続けられた。
1999年(平成11年)に富山土人形の当時の制作方法を忠実に継承して制作するため「とやま土人形継承会」より独立して「土雛窯」として土人形の制作を始めた。当時の土人形をもとに型起こしからおこなっているため、できあがりは若干小さくなる。渡辺信秀氏に指導を仰ぎ、2003年(平成15年)渡辺氏他界後も渡辺家以外の型の富山土人形も含め積極的に制作している。
現在招き猫だけでもかなりの種類を制作しているようだ。ただし古い作品に関しては廃業の際にもらい受けられ型や、作者が不明の作品もあるため、いろいろな制作者の招き猫が混在している。
土雛窯では従来の製法にこだわり、招き猫だけでなくいろいろな富山人形の型取り制作に励んでいる。今後どのような人形が増えていくかが楽しみである。古い富山人形は絵の具の剥離が著しいが土雛窯の人形も経年による色の変化なども見守っていきたいものである。
土雛窯の招き猫(上)と渡辺信秀作の招き猫(下) | |
土雛窯製の招き猫 | |
赤の首玉に水色の前垂れ | 左手挙げ |
首玉に結び目はない | 尻尾の先端だけ黒い |
白猫に黒の斑の左手挙げ招き猫 赤い首玉に水色の前垂れ 前垂れに描かれているのは松竹梅か? 少し右寄りに金の鈴が付く 頭のT字型の模様から 渡辺の招き猫が元になっていると思われる 高さ138mm×横75mm×奥行63mm |
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首玉には金の鈴 | 紫の首玉にカラフルな前垂れ |
右手挙げ | 長い尻尾 |
白猫に黒の斑 紫の首玉に赤と緑の前垂れ 私が所有している招き猫とは 手の挙げ方も異なりサイズも小さい 前垂れの形態も異なる 平田嘉一さん所蔵の招き猫がこの猫に一致する 高さ116mm×横58mm×奥行54mm |
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モノクロ写真なので色はわからないが 左の111が同じ招き猫と思われる サイズも11.5cm×5.5cm とあるので 同じ大きさである 人形の型抜きで型をおこしたのではなく 渡辺の型から制作したものか? 画像は おもちゃ通信200号(平田嘉一、1996)より |
子福猫 (前の両手招きの仔猫は取り外せる) | |
耳が大きい古作が原型 7匹の仔猫がつく | 左手挙げ |
赤い首玉に紫の前垂れ | 不思議な尻尾 |
大きな耳の白に黒の斑の猫は 富山土人形の古作によく見られる 赤い首玉に紫の前垂れも同様 原型の古作では金の鞠を持った頭の上の仔猫と 足元の両手上げの仔猫の2匹が付いている それ以外の仔猫は土雛窯の後付け 親猫の顔のパーツが 中央に凝縮して描かれている特徴がある 高さ255mm×横180mm×奥行125mm (仔猫を含む) |
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この親子猫が元になっていると思われる 土雛窯の猫より さらに顔のパーツの凝縮度が高いように見える 招き猫尽くし (荒川千尋・板東寛司、1999)より 日本招き猫館所蔵品か |
子福猫仔猫部分 | |
両手挙げ | 赤い前垂れ |
紫の首玉 | 尻尾はない |
この仔猫は親猫や頭の上の仔猫とは 首玉と前垂れの色が逆になっている これも原型を忠実に再現している 高さ78mm×横42mm×奥行45mm |
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現在手元にあるのはこの3点(もう少しあったような気がするが)のみなので、今後追加入手して順次アップしていく予定。
2018年中野ひな市に出品中の 土雛窯の面々 |
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出品中の作品 中央の猫の古作は 近々アップ予定 |
土雛窯HP
代表者:古川圭子インスタグラム
饅頭喰いのつぶやき 「とやまの土人形」
参考文献
郷土人形図譜「富山人形」 (日本郷土人形研究会、2003 郷土人形図譜第U期第4号)
招き猫尽くし (荒川千尋・板東寛司、1999 私家版)
日本郷土玩具 東の部(武井武雄、1930 地平社書房)
「鯛車 猫」(鈴木常雄、1972 私家版)郷土玩具図説第七巻(鈴木常雄、1988覆刻 村田書店)
全国郷土玩具ガイド1(畑野栄三、1992 婦女界出版社)
おもちゃ通信200号(平田嘉一、1996 全国郷土玩具友の会近畿支部)
ねこ新聞2023年2月号(ねこ新聞、2023 猫新聞社)