=^・^=今戸神社に初詣に行く    (2004年元旦、1月4日)

 =^・^=は除夜の鐘と共に浅草名所七福神巡りをするのがここ何年かの常となっています。思い起こせば前回の申年が最初の訪問だったので今年で13回目になります。もちろんスタートは今戸神社です。そして今戸神社では今戸焼の干支を買うのです。もっとも最初の年はサルではなく招き猫を買ってしまったので今年で干支の12種類がやっと揃ったことになります。
 この七福神巡りの企画も最初の年は「とりあえず行ってみるか」ということからスタートしたので、寺社の場所もわからず結局初年度は全部回りきれずに終わってしまいました。
 2年目からは場所を確認していったので、七福神すべて(重複しているところがあるので全部で9カ所)巡ることができました。効率的に回れるように今のコースが決まったのは3年目くらいからでしょうか。それからは今戸神社→待乳山聖天→石浜神社→橋場不動尊→吉原神社→鷲神社→矢崎稲荷神社→浅草寺→浅草神社の順で参拝するようになりました。順番としては待乳山聖天をスタートにした方が効率がよいのですが、招き猫ファンとしてはやはり今戸神社にこだわりがあります。浅草寺が最後にあるのはちょうど入場規制が解除されるころの時間になるため入場しやすくなるからです。

 今年も決まりどおり、雨戸神社からの出発です。年が明けた頃の時刻は結構大勢の人が列をなしています。みんな一組ずつ順番を待っているので時間がかかります。以前はこんなに並んだ記憶がないのですが、ここ何年かは同じような状態が続いています。
 参拝を終え、今年の干支の今戸焼の購入です。12年前は提灯持ちのサルでしたが、今年は御幣持ちのサルです。
 玄関に回ると並んでいます、招き猫が!立ち入り禁止の柵があるのですが、ちょうど宮司の奥様が通りかかり、近くで撮影させていただきました。ここに並べてあるのが現在の今戸焼の招き猫のすべてだそうです。やはり今戸のイメージが強いのか白い猫の方に人気があるようです。ちょっと奥に見慣れない招き猫が2体あります。最初はプ樹脂製かと思ったのですが、聞いてみると中外陶園が作ってくれたものだということです。どのようないきさつで制作されたものなのか、どのくらい制作されたものなのか伺い損なってしまいました。型を作るだけに1組のみと言うわけでもないでしょうし、他で販売できるものでもなさそうですし・・・。
 その夜はまだ先が長いので次の待乳山聖天へと向かいました。

元旦午前0時頃の初詣風景
 ここから 1月4日 ↓
今戸神社の鳥居 右の空き地が今戸幼稚園跡 茅の輪をくぐって本殿へ
やはり地元とカップルが多い 奉納された幕は新しくなっていた 縁結びを願う絵馬でいっぱい

 さて、元旦は9カ所回らなければならないので、慌ただしかったのですが、ゆっくり見学ともう一度1月4日の昼間に出かけていきました。さすがに三が日を過ぎて、人では減っていましたが、まだ正月休みで七福神巡りを楽しんでいる人もいました。
 明るいときに見ると見落としていたものがたくさんあることに気が付きます。拝殿のまわりにある紫色の奉納された幕が新しくなっています。平成15年1月吉日となっているので、去年の初詣の時はすでに新しくなっていたのかもしれません。これで今戸焼き先代の白井孝一さんの名前が奉納幕からなくなってしまいました。(2001年元旦の訪問記に前の奉納幕の写真があります)
 今年はNHKの大河ドラマの影響で新撰組に関する物が目立ちます。今戸神社の鳥井脇(上の写真)にも誠の旗がありましたし、以前から沖田総司終焉の地の碑がある当地だけにちょっと地味ですが『新撰組 招き猫が熱い! 今戸神社は新撰組主治医松本良順先生が住んでいた所、沖田総司終焉の地ともいわれています。(永倉新八「同志連名記」より)』 そして、今戸焼発祥の地、招き猫誕生の場所です。』の手作り張り紙があちこちに張ってあります。
 ところで境内にある「沖田総司終焉の地」の碑字は橘右近という方の作によるものだそうです。橘右近氏は現在使われている寄席文字の家元の方だそうです。

寄席文字

 江戸時代に神田のビラ(寄席の宣伝を書いたポスター)職人栄次郎が創案により看板に書いたものが評判になったのが起源といわれてる。現在、ビラ、プログラム、めくりなどで目にする寄席文字は、家元・故橘右が橘流寄席文字として、それまでの書体を継承しつつも現代流に変革し、読み易い、時代にあったデザインを確立した。

橘右近[たちばな うこん]
 本名椙田兼吉。明治36年11月18日東京芝浜松町生まれ
 大正10年,18歳で三代目柳家つばめに入門,龍馬の名で落語家になる
 昭和15年右近を名乗る。同24年4月落語家を廃業して神田立花演芸場楽屋主任を勤めつつ
 寄席の看板を書く。同40年11月,桂文楽の奨めにより,橘流寄席文字家元となる。
 平成7年没
        (愛大落研ホームページより引用)

 
手作り張り紙  沖田総司終焉の地に碑   左の碑文の文字作者

 本殿脇の玄関の招き猫を中心にしたディスプレーですが、一番下の壇は今戸神社などで授与している干支の今戸焼人形です。二段目は今戸神社で授与しているカップルの招き猫です。そしてその上は今戸焼招き猫総出演でこれで全部の型だそうです。火入れの中にあるペアの招き猫はなかなか面白い展示方法です。全体としては昔の地方の雛飾りのようなにぎわいです。
 中外陶園製の招き猫は黒い斑のオス猫と白いメス猫が対になっています。

玄関先のディスプレー まるで昔の雛飾りのよう。 中外陶園製のカップル招き猫
今はない絵馬

 本殿脇の授与所ではいろいろな招き猫関連品を入手できます。お守りも以前は一般的なスタイルのお守りで、色も女性を意識したのか確かうすいピンク一色だったはずです。しかし、今は巾着型になっていて、しかも七色あります。風水の影響でしょうか。
 今回は縁結鏡守の授与してもらいました。これは見かけはだだの鏡ですが、太陽光を反射させると今戸神社のペアの招き猫の御映像が映し出されます。いわゆる魔鏡です。平行光線でないとだめなようで室内灯では映りません。またものぐさをして袋に入れたままでもだめです。下の画像はそれを撮影したものですが、実際の画像はもっと鮮明です。なお、黒く見えているのは持っている指が影になっているためです。

招き猫関連品 社務所先の特製クッションの招き猫
縁結鏡守 800円也 こんな像が浮かび上がります  古いお守り

 ちょっと寒い一日でしたが、久しぶりの今戸神社を楽しんで帰宅の途につきました。
 次はやっぱり、気になるあの中外陶園製の招き猫について伺うことにしよう。