真夏の追分を行く   目呂二の大正グラフィック展
                                                     2023年7月29日


猛暑が続く東京を出て軽井沢に向かう
夜中に出て横川SAで仮眠
朝になると駐車場はいっぱいになっていた
余裕をもって出発
追分の駐車場に到着
木陰を追いかけて車を駐める
横川SAで仮眠 さすが軽井沢日陰は涼しい
9時になったので追分宿郷土館をを
見学に行く
追分宿郷土館    
  郷土館パンフレットより まつりのあと
以前から気になっていたのは
目呂二や堀辰雄が居を構えた昭和10年代末の写真を見るとこの周辺は原野のような状況だった
浅間山の噴火による影響かと思っていた
郷土館の学芸員に尋ねて解決した
植林の関係なのだそうだ
大きな木を伐採して、またカラマツなどを植林する。そのようにしてこのあたりの人工林はできているようだ
このあたりの林は根本的に青木ヶ原樹海などとは異なるようだ
追分宿別れのあたりが荒涼としていたのも納得


 今回の展示は目呂二の大正時代のデザイナーとしてのグラフィック展。これまでも楽譜の表紙などで見てきたがなかなかまとまった展示というのはない。いや今回が初めてかもしれない。資料は相当数あるはずだが画帳などにまとめられているものも多くばらして展示できない。レート化粧料に入社が大正4年なのでそこでのデザインが本業だろうが、それ以外の仕事も多彩を極める。副業だったのだろうか。
 初めて見る資料も多かった。

10時になったので隣の木通庵へ  
今回の展示は目呂二の大正時代のグラフィック作品が中心
「 わすれな草」と「故郷を想う」 「ジプシーの群」と「鴨緑江」(おうりょくこう)
「和曲集」と「天国と地獄」 「ボヘミヤンガール」と 「森の鍛冶屋」
「月光幻想曲」と「愉快な鍛冶屋」 「ウヰリヤム テル」と「キャラバン」
 「キスメット」と「オリエンタルダンス」 「ファースト・キッス」とサンチャゴ」
上の楽譜はすべてシンフォニー楽譜出版者社の
ハーモニカ用楽譜
表紙は石版画で版画として飾れるので
機会があれば入手しようとしてきた
しかしすでに出版されて100年ほどたっている上に、
楽譜という使用を目的として出版されているものだけに
なかなか状態のよいものに巡り会えない
今回は目呂二が保管していたものなので
経年劣化はあるもののよい状態のものが見られた

下の3点は同じフィンフォニー楽譜出版社の
「はせを小唄曲集」
「はせを」とは

杉山長谷夫(1889-1952)のことで作曲家、
バイオリニスト、音楽教育者
「ハイアワーサ」と「ユウモラス ユウモレスク」
 「船出」 「君ゆゑに」


下の3点も山野楽器店の「新作小唄」の楽譜
大正8年から13年頃の出版
3冊ともかつてネットオークションに
出品されていたのを見たことがあったが、
A5サイズほどの小さな楽譜であった

萱間三平は中山晋平の変名
当時はまだ小学校教員をしていたため
唱歌を教える立場をはばかって使用したといわれる
萱間は「(な)かやま」をもじったものか?
「妹」
「別れの唄」・「椰子の葉蔭」・「海の鳥」 作曲は中山晋平と萱間三平の並記
「椰子の葉蔭」のポストカード(左)


下の2枚は今回の展示ではなく私の所蔵品から
「君ゆゑに」の見開き (下左)
民謡曲集No1(下右)
 「君ゆゑに」の見開き 民謡曲集



 
上段左から
MCCたばこ広告
キネマ表紙(大正6年)
キネマ表紙(大正6年)
下段左から
現代婦人表紙(大正5年)
處女表紙
(大正4年9月号と判明)
處女表紙(大正4年)
上段中から
キネマ表紙(大正6年)
キネマ表紙
下段中から
處女表紙(大正4年)
うきよ表紙(大正4年)
上段左から
スミスランプ」の広告
講談世界表紙(大正7年)
講談世界表紙(大正6年

目呂二といえば
レート化粧料の社員だけに
そちらのデザインが
本職になる
レート化粧料広告原版
黒い部分が凹部で
印刷時に白くなる
下のような感じか?
実際には黒の部分が
さらに濃くなる
 
広告用凹版原画の下書き
ペン画ゲラ刷り
レート化粧料の経営陣と
広告図案担当者
目呂二のみが洋装
レート化粧料の
広告あるいはポスター
まだ目呂二の音符マークは
使われていない
昭和3年の広告
一口毎にレート特製
美術人形1個謹呈とある
大垣市の代理店の
販促品として使われたようだ
箱がないと腰の曲がった
女の子の変な人形に
なってしまう

マネーキーと同じような
使われ方をしたようだ
シンプルな線が好ましい
目呂二の広告
ヌードがまだ一般的で
なかった時代に
挑戦的な作品群
よく「100%エロ」などと
いうことばをどこかで
使っていたのを思い出した
今回は展示されて
いなかったが
完成したかどうか不明の
素描肉線裸体百態絵葉書
が気になる
レート化粧料の葉書原画
下描きの線が残る
葉書の裏面
レート化粧料のはがき
覆刻


タバコのデザイン 
「遊天戯海」(大正8年)
当時日本が占領していた朝鮮の金剛山旅行に
社長に同行したときの画帳
朝鮮の風俗が描かれている

目呂二は書籍の装丁もやっていた
展示では年代不詳となっていたが、
後に判明
現在残っているのは裸本で
カバーは見かけたことがない


「英訳坊ちゃん」
河村目呂二装丁
夏目漱石著
毛利八十太郎訳
誠文堂書店(1918)
第一編「正成と正行」国民小文庫
黒田幹一著
三一社(1915?)
今回の展示にはなかったが
「政界の表裏」という書籍の表紙が
インスタグラムに上がっていた 
調べてみると
「政界の表裏」(大正7年)
無名隠士により萬朶書房から
出版された書籍のようだ

興味のある方は
目呂二ライブラリーのインスタグラムをどうぞ
書籍の内容自体は国会図書館の
デジタルコレクションで見ることができる
しかし国会図書館の資料もカバーはない

無名隠士 著『政界の表裏』,
万朶書房,大正7
. 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/955594
作曲家・杉山長谷夫(前出)による
「目呂二人形」をイメージしたと思われる曲


 目呂二の残されている作品は丁寧に画帳などに貼られて整理されているののが多い。それ故にばらして展示できないのが残念だ。一部は複写してプリントで展示してあるが膨大な資料のすべてではない。

英訳 坊ちゃん 資料編 
  展示では年代不詳とあったが、
調べてみると国会図書館の
デジタルアーカイブズで確認が取れた
しかしカバーが欠損しているため
目呂二の仕事の様子は確認できていない

国会図書館所蔵品はカバーなしの裸本
他にも見つけたがやはり裸本
「英訳坊ちゃん」
初版は大正7年(1918)11月

誠文堂書店は書籍取次店として
明治45年(1912)創業
1913年出版業に参入
現在は誠文堂新光社として営業している
見返し部分
おそらくこれも目呂二の
デザインではないかとのこと
 by Kin-nosuke Natsume ほか
『Botchan = 英譯坊ちゃん : master darling』
,Ogawa Seibundo,1918.11.
国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/1700399 (参照 2023-08-01)


 かなり長時間居座ってしまった。土曜日で混む前に帰るとしよう。

木通庵を後にする   日陰はそうでもないが・・・
日射しが強い
日陰はさほどでもないが
一歩日向に出ると軽井沢でもさすがに暑い
正午には駐車場は満車になっていた

郷土館と共通になっている入場券で
久しぶりに堀辰雄文学記念館も
見学したかったがこの暑さで諦めた


 まだ昭和編が続くであろうから期待したい。

 今回展示されなかった作品もあるのでぜひ「河村目呂二ライブラリィのインスタグラム」と見比べて欲しい。




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