ひな市余話 猫またさん再び
                                         2023年3月30日


 3月、今年も中野ひな市の季節。抽選には外れたが展示を見に行く。
 時間があったので中野市にある「猫またさん」に行ってみた。前回行ったのが2014年だったので実に9年ぶりである。元々情報が極めて乏しい。まとまった情報は「ねこれくと」が唯一かもしれない。
 2020年に訪問した方のブログを見つけた。それによれば案内板もボロボロで読めない状態であったようだ。その後が気になる。
 そこで以前掲載した情報の復習と現在の状態を紹介することにした。
 したがって内容としては9年前の2014年の報告と大きな変化はありません。


 猫またさんは中野市西条の谷街道沿いにあるがそれほど道幅が広くないので道路脇に駐めるのは気が引ける。そこで少し離れているがショッピングセンター「原信(はらしん)中野店」の駐車場を利用させてもらうことにした。中野西高等学校の隣である。少し歩くが大した距離ではない。
 原信から中野西高校沿いに谷街道を進み、中野西高校西の信号を右に入る。こちらが本来の谷街道に当たる。信号から200m程行ったところに目的地はある。右に三沢パイプ工業の庚申塚を見ながら、左手には水田がある。水田を過ぎた倉庫の向こうが目的の猫またさんである。
 入り口に木の標識があるがまったく読めない状態になっていた。草が多い時期だと標識の存在さえ見過ごしてしまう。
 手前には萬霊等という碑の群がある。そちらの方が目立つ。その奥にあるのが猫またさん。ボロボロだった説明板は新しくしたようだ。人家の庭先のような場所だが説明板が設置されているので不法侵入には当たらないであろう。

                Googleマップでは史跡として「萬霊等」がある奥 金花猫明神(猫またさん)と表示が出る


 そこで西条の猫またさんについて再度掲載。「ふるさとの伝説と昔話」から直接引用して前回のものをリニューアルした。一部誤字誤植か?と思われる部分もあるが句読点も含めそのまま引用している。

猫またさんとは  西条の猫またさん

 昔、西条のある家に、おばあさんがとてもかわいがっているタマという猫がいた。
タマはおばあさんが嫁に来たときに、生まれてまもない子猫だったのを連れてきたもので、ずいぶん年をしていたがとても利口だった。
 その頃、西条には年に一度か二度、義太夫とか浄瑠璃の一座が村の堂にやって来て、村人達を楽しませていた。
 春のあるあたたかい日、村の堂に義太夫語が来た。世間話ほか、楽しみの少ない頃のことなので、家中そろって出かける家も多かった。
 タマがいるおばあさんの家でも出かけることにした。しかし、おばあさんには留守番をしてもらうことになった。おばあさんは義太夫を楽しみにしていただけに、留守番はつまらなく、とても淋しかった。
 みんなが出かけたあと。おばあさんは縁側に出て、タマを抱いて、日なたぼっこを始めた。
 おばあさんは「タマ、みんな義太夫語りを聞きに行ったよ。きょうみたいに、あたたかくていい日に留守番なんてつまらねえよなータマ」 と一人ごとのようにつぶやいてタマに嘆いた。
 すると、タマは
「おばあちゃん、そんなに悲しまんでいいよ、わたしが義太夫を語ってあげますから」と言った。
 おばあさんはビックリして自分の耳を疑った。タマが人間のことばを話したのだから、それは、それはたまげた。
 タマはさらに
「だけど、おばあちゃん、決してだれにも言うない」と強く念をおした。
 あばあさんは「よし、よしわかった。だれにも言わね」と答えた。
 それを聞いてタマは安心したように義太夫を始めた。タマの義太夫は、目をとじて聞いていると堂で聞いているのと間違えるほどすばらしい声でとても上手だった。タマの義太夫が終わるとおばあさんはとても喜んで、タマに、「ありがと、ありがと」とお礼を言った。
 その日は家の者からも義太夫の話は出なかったが翌日の朝、みんなで朝めしを食べ始めると、だれともなく、昨日の堂での義太夫の話が出た。それを黙って聞いていたおばあさんは驚いた。おばあさんがタマから聞いた義太夫は、堂での義太夫と全く同じみたいだったからだ。
 おばあさんはとてもびっくりして、タマと約束した”だれにも言わない”ということを忘れてしまって、「それなら、おら、タマから聞いた」とつい口をすべらせて話してしまった。
 それを聞いて家の者はみんな驚いた。みんなは、「おばあちゃん、それは嘘だろ、嘘だろ」と攻め立てた。
 そこでおばあちゃんは、昨日のタマとの一部始終を話した。家の者は、おばあさんが言ったことは本当だとわかり、タマの神通力にただ、ただ驚くばかりだった。
 その時、家のみんなは、時々踊りを舞うタマのことを思い出した。それからまた、タマが毎夜のように殿橋の附近に近くの村々の猫を次から次へと集めてなにごとか伝授しているということを人から聞いたりして、タマの神通力をうすうす感じていただけに、タマは普通の猫ではない、これから、なにかもっと恐ろしいことが起きるのではないか、と心配になってきた。
 それからというもの、みんなはタマの神通力を恐れるようになった。
 そこで、家人は考えに考えた末、縁者や附近の人とも相談して、鉄砲師に頼んでタマが近くのわらによにもたれ、春の日を受けて気持ちよさそうに眠っているところを射殺してしまった。
 家人はタマの死骸を自宅の墓地に厚く葬ったが長い間かわいがっていただけに、タマのことを忘れられず、冥福を祈って、その後墓地の一角に祠を建て、金花猫明神として祀った。
 後に、京都にあると言われている猫また大明神に合祀したと言われ、村の人は、この祠を猫またさんと呼び、ネズミ除けの神さんとして参詣し、金花猫明神の姿絵をネズミの出そうな所に貼って大事な家財をネズミから守った。


   





   「ふるさとの伝説と昔話」合本版(中野市中央公民館 平成2年(1990)より引用



猫またさん2023
見学は雪や草のない時期がよい
標識は読めないので当てにならない
草が茂っている時期は
見落とす可能性あり
途中にある庚申塚 車だと通り過ぎそうだ
標識はまったく読めなくなっていた 奥に見えるのは萬霊等のひとつ シートは草除け?雪よけ?
かつての標識
FM長野「B-MAP NAGANO」
No.63より
(現在ファイルは存在しない)
プリントアウトからスキャン
 
まだ文字が鮮明だったころ    
奥には人家がある
しかしあまり生活している気配がない
説明板は新しくなっていた
これが猫またさんの祠 金花猫(ねこまた)明神


 心配した説明板だが新しい説明板になっていた。説明内容は同じだが、あきらかに2014年のものとは異なる。

 
 
新しくなっていた説明板


 祠は日射しがあると影ができるので曇っている日の方が撮影しやすい。

 
 猫またさんを祀る祠
 安山岩製か
左側  
 中には御幣のようなものが入っていた 
 祠が傾いているのは
 凹凸のある石の上に置いてあるから
 奉納などの文字は見られない
 乗せられている基板の石が見えるが
 祠が元からここにあったのかは不明
正面  
 屋根下の部分に模様が見られる
 右側  

祠の計測もしてきましたが、まだ情報不足。

今回の採寸結果(単位はmm)
計測し損なった部分がある


 猫絵も再び掲載。

 タマの木版刷り護符  
 尻尾から耳まで約28cm 
 短冊状の護符というより
 猫絵になる 
 尾は二又になっていない
 護符の版木
 
 


 なお、文献には西間の金花猫(ねこまた)明神とあるが、西間はかつての西間村のことのようだが調べはまだそこまで進んでいない。タマが射殺されたのもいつごろのことであるか不明である。版木の所有者がおばあさんの子孫であるかも不明。この点は尋ねてみる必要がありそうだ。
 看板(説明板)はだれがつくったか書いていなかったが②とあるので一連のものなのだろう。あまり期待はできないが市役所の教育委員会にでも出向いてみようか。
 合祀したという京都の猫また明神も気になる。猫またではないが、美喜井稲荷大明神も京都方面の比叡山からやって来ていた。



               -----何となく続く-----