2013年3月
中野ひな市の寄り道その2としてまたまた小松市串の猫の宮を訪ねる。
鯖江からは近いので朝はゆっくりする。最初の目的地は小松の博物館。
訪問したがまたもや展示入れ替えで休館中だった。残念。公園の標本木の桜も開花した。とち餅の看板を見たので買っていこうと思ったがすでに売り切れだった。次回は白峰まで買いに行こうか。
宿泊場所 鯖江第一ホテル | 小松の標本木の桜は開花した |
それでは串茶屋の猫宮まで行くとしよう。今回は手持ちの資料が少なかった。とりあえず猫宮がかつてあった場所と水路を見に行こう。
いつもの串八幡の駐車場に駐め階段を上がる。
今日も猫宮がひっそりと出迎えてくれる。はたして年間何人の人が訪れるのだろう。せめても「ねこれくと」で知ってもらい訪問してもらおう。
串八幡宮神社 由 緒 延喜8年(908)施行の延喜式神名帳の 写本の中に 式内社能美八座旧社23座あり、 此の旧社の中に 串やなぎの宮とある。 これが串八幡社として 歴史に現れたる初めである。 古來村の中に鎮座ましましたるを、 昭和4年9月に現在地へ 御遷座今日に到った。 住吉社、国王社、祢児宮、青森社、 菅生社、榊宮の6社あり、 明治8年村社串八幡神社と改められた。 「石川県神社庁」より引用 |
||
駐車場から階段を登る | 参道 | |
串八幡神社というとどうしても 紹介している猫宮にばかり 目がいってしまう。 しかし串町公民館が発行する 館報「九思」第115号 (平成24年8月1日)によると、 老朽化が激しいため 修復あるいは新設に向けて 準備委員会が発足したのだそうだ。 串町内会 |
||
今日も待っていてくれました | ||
せめて由来の説明板が欲しい | ||
木陰の薄暗い場所 | 屋根の下以外は緑になっている | |
なぜ猫宮がここに? | 謎はまだ解けていない | |
あらためてみると設置場所柄かけっこう苔むしている | ||
日陰なので風化は少なそう |
串八幡神社の鎮守の森を出て近所を散策する。
最初に来たとき組み立てていた鳥居 | こちらが表になるのだろうか? | となりはため池 |
---|---|---|
鳥居と石灯籠組み立て中 2010年3月30日 | この柱は祭礼で使うのか? |
さて猫宮の場所探し。今回はメモを持ってきていなかったので、はっきりした番地と持ち主の氏名がわからない。しかし場所は前回調べたときの記憶が少しある。とりあえず当てずっぽうに歩いてみる。
串バス停 | ||
かつてこのあたりに猫宮があったはずなのだが |
昨年このあたりにあったはず・・・・と書いたが少し位置が違うようだ。
それらしき大きな家があった。表札はでていても住所表示がないうちが多い。かなり大きな敷地のようだ。歩いて行くとおじさんが作業をしていた。何か不審がられているようだ。
写真だけ撮っておく。帰ってから調べてみると位置も名前も同じなのでほぼ間違いないだろう。串八幡の足元といった場所だ。今度はぜひお話をうかがってみたい。
庭に 猫宮があったお宅におそらく間違いないだろう |
散歩を続ける。光玄寺という大きな寺があった。寺の歴史はよくわからない。
光玄寺という大きな寺があった。修復の際に交換した鬼瓦が山門脇に展示してあった。 | ||
光玄寺裏手には串民俗資料館があった。 しかし閉まっている。 小さな町で は定期的な開館は 難しいのだろう。 |
||
近くに資料館があった。串民俗資料館。地域で使用していたいろいろな生活用品が見える。しかし閉まっていた。おそらくこのような小さな町では収蔵品を整理して開館することが難しいのだろう。串茶屋資料館だって連絡して鍵を開けに来てもらうくらいだから、2つも資料館を維持していくことは不可能に近いのだろう。残念なことだ。
串川に出る。今回の目的のひとつ。この川(水路)は干拓され今は小さな流れになっている。
櫛川碑文 (大きい画像を見る) | 与謝野晶子句碑 (大きい画像を見る) | 串大橋 |
川沿いの遊歩道 | ||
平日でもあり散歩をする人が時々通るだけ | 生活水路の跡 | かつて川に降りた階段 |
次回の訪問ではもう少し散策範囲を拡げてみたい。
散歩中に食事場所発見。先ほどの光玄寺裏、資料館のごく近くにある寿司屋。日替わり定食がある。ここで昼ご飯を食べる。今日は金曜日なので天ぷら定食。おなじみさんらしい人たちが次々入ってくる。
ご主人は食材にこだわっているようだ。健康に関する資料をもらった。
食事場所も見つかったし、1日いても大丈夫だ。
寿し たなか | さすが小松だけあって招き猫も九谷。 | |
今回食べた天ぷら定食 玄米ご飯 | 猫が厳寒から入ってきた。どうも寿司屋の猫のようだ。 | |
串八幡神社 鎮守の杜杜 |
一日遊んでしまった。まだまだやることはたくさんありそうだ。
通りを中心に歩いていたが、水運の遺構もあるようなのでそちらも次の機会に見学しなければならない。小松の博物館も行く必要があるだろう。
猫宮のあった確かな位置もまだ特定できていない。
明日は金沢で調査。そして金沢の古書店に注文しておいた書籍を今日受け取りに行くことになっている。急ごう。
購入した本は 加賀の串「遊女の墓」 川良雄・池田己亥 北国出版社 昭和47年(1972) 猫宮調べの発端となった ネタ本だ |
---|