ねこれくと写真館 おたずね招き猫1
我が家の招き猫たちから正体不明の招き猫たちを紹介します。「これ知っている!」という方はぜひ教えてください。
No.1 謎の子持猫
解決 | No.1 プロフィール @大きさは62mm(横)×44mm(奥行)×81mm(高さ) A土には和紙が練り混んであり焼いていません B現在底はありませんが和紙が貼ってあった跡があります C顔の目から鼻先あたりにかけて、かすかに赤っぽい彩色の痕跡があります D裏面の彩色はない E江戸東京博物館の調査報告書第4集の金沢春吉作より10〜15%程大きい |
これは京都の骨董屋で入手したものです。創作市場「ねこに遊ぶ」の71ページアンティークショップ「沙羅伊」の広告に掲載されていたもので、何とも大胆な色使いと表情に魅力を感じ京都まで足を延ばして手に入れたものです。店主はあまり土人形には詳しくないということで、東北で出たもので遠野の人形ということで仕入れたということです。遠野と聞けば思い出すのは附馬牛人形です。早速手に取ってみると土は焼いてなく、和紙がすき込んであります。ちょっと高かったのですが、この猫の魅力には勝てずそのまま連れて帰りました。
ある時ふっと気が付きました。今まで色にばかり目がいって気が付かなかったのですが、これは今戸人形の「子持ち猫」と同じなのです。はたして本当に附馬牛人形なのでしょうか。附馬牛人形を復元している佐々木孝和氏によれば今戸の型のものはないということ。今戸人形に詳しい千葉惣次氏によれば今戸の型もあるということ。京都の嵯峨人形の家で(おそらく館長のI氏)収蔵庫にある附馬牛人形を見せてもらい、説明を聞いたところ、附馬牛人形は花巻のコピーか「打ち込み」であるとのこと。現物を見なければわからないが、土に関しては千葉惣次氏がいちばん詳しいとのこと。確かに和紙(すさ)をすき込んだ土人形は全国に点在するのでこれだけでは決定打にならず、正体は不明のままです。今度現物を持って千葉氏のところへ見てもらいにいこうかと思っています。
千葉惣次さんのお墨付きをもらう
2001年12月16日谷中の猫町で千葉真理子さんの個展会場でご主人の千葉惣次さんに見ていただき、附馬牛人形に間違いないと言うお墨付きをもらいました。明治初め頃のものであろうと言うことで赤はスオウの赤と言うことです。あきらかに今戸の型で、附馬牛としては初めて見る型だそうです。附馬牛人形の場合、今戸の型を元にしている場合でも花巻から入っていると言うことで、これは先の「附馬牛は花巻のコピーか打ち物」という嵯峨人形の家での話とも矛盾しません。しかし、現在花巻の中にはこの型は見つかっていないそうです。はたしていつ頃どんな経路で遠野の山深い集落まで浅草の人形が伝わったのか興味は尽きません。
2001年12月21日
No.2 謎のまゆ玉猫
No.2 プロフィール @大きさは55mm(横)×29mm(奥行)×65mm(高さ) A繭玉(後ろ姿の腹の丸みは繭玉の形を反映している)と一部和紙? B手足の芯は針金が使われている C目、鼻、鼻の穴、口までしっかりと再現されている D目は種子か?(左目は脱落) E赤の前垂れを後ろは糸で止めてある |
『幸せの招き猫』という本を招き猫ファンならご存知だと思います。この本の中でひときわ印象深い一匹がp.95にある招き猫です。説明には「不気味?まゆ玉でつくられた招き猫。養蚕地でつくられたもののようだが、まゆ玉は虫や水に弱く保存が難しく珍しい。ちいさなものだがよくできている」とあります。
1998年の年末に東京ドームで開催された骨董市でこの猫を入手しました。会場の片隅で小物を中心に出店していた店先に目をやると、そこには見覚えのある『あの猫』がいるではありませんか。リアルなつくり、まさに本の解説にあった不気味さそのものです。値札はちょっと高めでしたが、交渉の末かなり安くなり、この猫も我が家の一員となりました。
家に帰って「幸せの招き猫」の写真と見比べてみると、何と耳の折れ曲がり方、からだの模様、前だれのシワ、目の痛み方などすべて一致し、本に掲載されていた猫が何らかの理由で前の持ち主から流出したものということがわかりました。
店主の話では群馬から出たものである以外詳しいことはわかりませんでした。今までに他では見たことがないので量産品なのかどうかもわかりませんし、時代もまったくわかりません。
以前、京都の骨董市で福井の骨董屋にあった繭玉製動物(複数、猫はなかった)が似ていましたがこちらの方がよりリアルな感じがします。
No.3 静岡あたりの奉納品猫?
No.3 プロフィール @大きさは40mm(横)×40mm(奥行)×66mm(高さ) A土人形 B赤の首ひもに黄色の鈴 C目は黄色地に墨で一本線 D尾はあるが彩色はない E裏は彩色をしていない |
平和島の骨董市に3体出ていた中の1体。もっとあったかもしれない。胡粉の状態は野外に置いてあったような様子。そのようなことを考えあわせるとどこかの奉納品かとも思われる。骨董屋によれば静岡あたりで出たものだという。
No.4 関東の張り子らしい
解決 | No.4 プロフィール @大きさは91mm(横)×100mm(奥行)×105mm(高さ) A張り子 B青赤の首ひもに達磨抱き C目は黒い縁に金でひとみは入っていない D底は高崎のように土の底は付いていない。紙製の薄い底が張り付けられ、胡粉がけされている |
五十嵐さんの昔の作品という噂もあるが定かでない
解決
春日部張り子二代目の五十嵐俊介さん経由で五十嵐健二さんの初期の作品と確認されました。かなり初期の作品のようです。なお、「張り子 伝統から創作へ」(五十嵐健二 編著 日貿出版社 1997)のp27にある作品は大きさはわからないが同じ型ではないかと思われる。これを購入した際、達磨の上に小さな招き猫が載っている作品もあった。こちらは未入手、残念! (2006年2月16日)
羽織招き猫自体も「おたずね猫」なのですがこちらはまたの機会にして、まずはその裏にある墨書き。2行目は「六月吉日」だと思うのですが、それ以外は読めません。どなたか読んでください。 解決? |
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切り絵をはじめとする「かみのつくりもの」で有名な松風直美さんの協力で解決?しました。 左の写真は松風さんから送られてきたもので、解読の結果 『明治二十六年第六月壱日藤村半二郎観音参拝』とのこと。これで謎は解決と思いきや、実はまだ謎が残ってしまったのです。 詳細はねこれくと調査隊「羽織招き猫裏書きの謎」へ |