久米土人形(宮尾土人形) 
                                     増補改訂版

久米土人形(宮尾土人形)
 種類:土人形
 制作地:岡山県久米郡久米町宮尾(旧)→津山市宮尾(新)
 現制作者:廃絶→復活か?(2023)
 

 久米の土人形は文化年間に松岡村右衛門善隣により農業の副業として伏見人形をもとに創始されたとされる。全盛期の明治中期から後期にかけては9軒の人形師がいたが、昭和7年には本家の岸川亀次郎(四代目)と分家の岸川武士(五代目)の2軒だけとなってしまった。本家は亀次郎の死去により廃絶した。分家の武士(明治34〜昭和61)は戦前戦後と制作を続けた。号を翠雲と称し、昭和41年久米町の無形文化財に指定された。武士の死去後、一緒に制作をしていた妻の留代(大正元〜平成12)が六代目を継いで岸川工芸社として制作を続けた。しかし平成12年、留代の死去により200年続いた久米土人形は事実上廃絶した。
 久米の土人形の代表作は泥天神で大看板(高さ120cm)を筆頭に11種類の大きさがあった。招き猫は1種類でそれ以外に猫(大・中・豆)がある。
 岸川家は農業を営んでおり、土人形の制作は梅雨期から秋にかけて成形し、秋から春先にかけて彩色をおこなっていた。かつては彩色に泥絵の具を用いていたが、最近になってポスターカラーに切り替えられた。
 久米土人形には鴻巣に型の似た赤物もある(ただし土人形)。

初代  松岡村右衛門    
二代目 松岡健次郎    
三代目 今川佐十郎    
四代目 岸川亀次郎(本家廃絶)    
五代目 岸川武士 1901−1986  明治34年−昭和61年
六代目 岸川留代(武士の妻) 1912−2000  大正元年−平成12年
       



 久米土人形の招き猫は武井(1930)にも載っており(画像はなし)、いろいろな書籍の制作品目には必ず載っているので久米の土人形の中でも天神などと並び有名な型だったのかもしれない。体とは不釣り合いな大きな鈴やギョロッとした目、グルッと巻いた太い尾など、一見して久米の招き猫とわかるものである。
 手元にある久米の招き猫の裏には93年1月と購入とある。東京日本橋にあった東急デパートの新春全国郷土玩具展で購入したもので、当時は一人で何個でも購入することができた。

 最初に久米の土人形を現地まで買いに行ったのは記録を見ると1994年3月30日とある。この時は四国なども回ったため制作所までは行かず、岡山市内にある岡山県観光物産館を訪ねている。残念ながら招き猫の在庫はなかったが、座り猫など何点か買い求めた。制作には娘さんも手伝っていることを物産館の方から伺い、久米の土人形の制作はまだ安泰を思わせる雰囲気であった。
 2度目は1998か9年の3月でこの時は現地を訪問している。直接制作者の岸川留代さんを訪ねるつもりでいた。久米の宮尾は山間部の田園風景が広がるところで、車でしばらく走ってみたが自宅の場所がまったくわからない。カーナビなどない時代であったので近くにあった集会所で尋ねてみた。しかし、「久米の土人形」と言ってもピンとこなかったようで地元の人は首をひねっていました。しばらくして「あぁ、岸川さんのところの宮尾の人形ね」と合点がいったようだ。地元では宮尾の土人形の方が通りがよいようだ。しかし岸川留代さんはケガで入院しているようで、その代わりに近くで働いている娘さんを紹介していただいた。そして訪ねていき話を伺うことができた。
 お子さんの話では留代さんは前年の秋に足を骨折して入院し、今もそのまま入院しているとのことだった。そして土人形を制作していた工房も片づけてしまったという話を聞き、久米の土人形もついに廃絶かという不安がよぎった。
 その後、地元の広報誌『広報久米』で岸川留代さんが2000年(平成12年)1月に87歳で亡くなられたことを確認した。これをもって江戸末期から続いた久米の土人形は廃絶してしまった。なお、岡本(2009)による聞き取りによれば中断とある。

 2004年には地域合併が合意され、加茂町、阿波村、勝北町、久米町は津山市と平成17年2月28日に合併した。久米の地名は残っているが、だんだん土人形の存在は地元でも忘れられていくのかもしれない。
 郷土玩具職人ばなし(坂本一也1997)によれば、岸川留代さんを手伝っていたのは10kmほど離れた隣町に住む留代さんのお子さんの産賀久子だそうだ。訪問した際、現地でお話を伺ったのもこの方のようだ。

久米土人形復活か?
 2023年久米土人形が復活した、あるいは復活するらしいという情報を情報通の岐阜のNさんから聞いた。調べてみると山陽新聞デジタル版に記事が掲載されていた。
 取り組んでいるのは岡山市在住の長友真昭さんというデザイナーの20代の若い方で仕事の関係で県内の郷土玩具の調査をしていたときに久米土人形を知り、型なども保管されていることがわかり復興を思い立ったそうだ。2023年早春に親族の元を訪ね相談した結果作業場や道具類を借り、人形制作を手伝った岸川さんの三女である産賀久子さんの助言を受けながら制作を始めた。この年の岡山神社の蚤の市に初めて作品を出品するようだ。
 制作経験のある産賀さんの年齢を考えると復興にはギリギリのタイミングであったようだ。
 山陽新聞のニュースの画像には座り猫も後ろに写っているので研鑽を積んで久米土人形がこれからも制作されていくことを切に願っている。


<追記>
 増補改訂版をアップした後、岐阜のNさんが岸川家を訪問した画像がインスタグラムにアップされていた。事後承諾と言うことで画像を何枚か使用させていただいた。画像は追加画像として掲載した。
 さらに大猫もみつかったので同時に追加した。

 

久米土人形の招き猫  
 久米土人形は天神が有名だが
天神は型抜きした後、
焼かないで乾燥後彩色している。
猫は焼いているが、
破損した大猫を見ると
それほどしっかり焼かれて
いないようにも見える。

久米土人形の招き猫は1種類のみ


岸川武士作


岸川留代作

左手挙げで赤い首玉に
身体に不釣り合いなほどの
大きな鈴を付ける 

高さ150mm×横75mm×奥行70mm
岸川留代作
胸に「福」の文字 左手挙げ
足のラインが武士作に比べ浅い 黒の太い尻尾
岸川留代作
左手挙げで赤い首玉に金色の井桁模様
大きな緑色の鈴を付ける
鈴の上の金線は鈴のつなぎ目、下の金線は鈴口
黄色の目に黒い瞳
白猫の前面に黒の斑と「福」の文字
「招福」の文字が入ったものもある
尻尾は黒で太くて長い
爪は黒で丁寧に描かれている
鈴のつなぎ目や鈴口は金で描かれている
底面に「久米 岸川」の銘が入る

長年の使用で型が甘くなってきているという
左側面から見たとき、前足や後ろ足のラインが
武士の猫より留代の方が浅くなっている

岸川武士作
胸には黒の斑で文字はない 左手挙げ
金の鈴にはつなぎ目や鈴口もある 太い尻尾
岸川武士作
左手挙げで赤い首玉に金色の井桁模様
大きな金色の鈴を付ける
黒い目に金の瞳
鼻の部分の彩色なし
白猫の前面に黒の斑と「福」の文字はない
尻尾は黒で太くて長い
鼻は描かれていないが、黒で描かれているものもある

底面に「久米 岸川作 雲」の銘が入る
雲は号の「翠雲」の雲と思われる

底部に「久米 岸川作 雲」の銘が入る



久米の猫たち
 招き猫以外にも猫の土人形は存在する。大・中・豆とあるようだがどのような猫かは不明である。手元には招き猫以外に大猫、子犬と仔猫(ペア)、座り猫がある。おそらく大猫が「大」にあたると思われる。

大猫
白猫に黒の斑 背中に黒い斑
赤と緑の首玉に赤と水色の前垂れ 背面は首玉以外彩色なし
岸川留代作

首玉に井桁模様がないが
他の大猫にはあるので
この猫が特別のようだ
底は紙が貼ってある

   高さ152mm×横158mm×奥行81mm
 
底面に「久米 岸川」の銘  
大猫の箱
箱の絵も岸川留代作と思われる
大猫が入っていた箱  
比較用の頂き物
首玉や前垂れの彩色が異なる
破損した部分を見ると
天神と同じように焼いていないように見える

(破損しているので封をしたまま撮影)
水色と赤の首玉に緑と赤の前垂れ
赤の首玉には金で井桁模様 尻尾は黒で長い
首玉前垂れの彩色が上の大猫とは異なる
名古屋のNさん旧所蔵品

岸川留代作と思われる
サイズの記録を忘れたが「大」に当たる猫であろう
首玉や前垂れ、耳の彩色が異なる
「久米土人形 岸川」の銘


中猫?   追加画像
赤い首玉に金の模様と金の鈴 耳は縁と裏が黒で塗られている
黒い尻尾 背面は足の陰影はあるが彩色はされていない
日付から岡山県観光物産館で
大猫などといっしょに購入したものと思われる
白猫に背中に黒い斑
耳の中は赤、縁は黒で塗られている
黒い尻尾
後ろ足に爪が描かれている
背面は首玉と耳の後ろ以外の彩色はない


高さ97mm×横94mm×奥行57mm
底に「久米 岸川」の銘


仔犬と仔猫  
ペアの作品
手前はサイズ比較用の500円硬貨
岡山県観光物産館で
大猫といっしょに購入した作品

左 仔犬
高さ56mm×横38mm×奥行29mm

右 仔猫
高さ58mm×横33mm×奥行30mm
耳の形で犬と猫の違いを表現している
青緑色の首玉に金の鈴を付ける
尻尾は黒で描かれる
黒い斑の配置は同じ 
彩色の時、棒を挿した跡


座り猫
手前は大きさ比較用の500円硬貨
これのサイズが豆にあたるのかは不明
岡山県観光物産館で大猫といっしょに購入したもの
ひじょうに稚拙な感じの彩色がおもしろい
天神などに比べると猫は全般的に
大らかな描き方の作品が多い
耳の中は赤で彩色されている
青い台の上に乗る 「の」の字のような模様は斑か尻尾かは不明
耳は黒で彩色されている
「久米宮尾土人形 岸川」の銘が入る

   高さ46mm×横68mm×奥行37mm
「宮尾」の地名が入るのはめずらしい


追加画像  
久米招き猫
現在、岸川家を継いでいる息子さん夫婦の話では
手伝っていた三女の産賀久子さんの
彩色かもしれないとのこと
胸の「福」の文字がうまい
招き猫  
猫の大と小か? 上段の猫小? 左下には赤物の熊金が見える



                                      


  なお。招き猫・猫図鑑の以前の久米土人形のページも記録として残してある。




    廃絶の「久米土人形」復興へ挑戦 山陽新聞digital 2023年8月12日

    久米の赤物 八郷の日々(2015年6月18日)



参考文献
郷土玩具職人ばなし(坂本一也、1997 婦女界出版社)
岡山のおもちゃ 岡山文庫63(吉永義光、1975
 日本文教出版)
招き猫尽くし (荒川千尋・板東寛司、1999 私家版)
郷土玩具1 紙(牧野玩太郎・福田年行編著、1971 読売新聞社)
日本郷土玩具 西の部(武井武雄、1930 地平社書房)
「鯛車 猫」(鈴木常雄、1972 私家版)
郷土玩具図説第七巻(鈴木常雄、1988覆刻 村田書店)
全国郷土玩具ガイド3(畑野栄三、1992 婦女界出版社)
おもちゃ通信200号(平田嘉一、1996 全国郷土玩具友の会近畿支部)
郷土玩具と地域像−岡山県美作地方の泥天神の現在−(岡本憲幸、2009 人文地理vol.61no.3)
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