京陶人形     

京陶人形
 種類:陶人形
 制作地:京都東山付近
 現制作者:多数

京陶人形とは
 土人形の産地伏見に近い京都東山清水界隈では土産物として多くの陶人形や土人形が制作されている。かつて製作されていた清水人形は「京博多」や「京人形」という名称で呼ばれていた。これは後に述べるように博多人形の作家が多く京都にやってきたことによる。昭和33(32?)年(1958(57?))に当時の京都市長によりこれらの人形は「京陶人形」という名で統一され、京都で製作されている素焼き人形をそのように呼ぶようになった。

 清水付近では明治のころまでは伏見人形が店頭に並んでいた。やがて伏見人形の衰退と共に新しい創作人形がの製作が始まった。そこには明治末から多くの博多人形師がやってきてこの地で製作を始めた。もともと清水焼で陶芸の盛んな土地ではあったが土人形はほとんど作られていなかった。
 名の知れた工房の作家による作品もあれば、内職のような小規模な製作所も作品もあった。
 はたして郷土玩具に入れてよいのか迷うが、私の蒐集の原点にあったので取り扱うことにした。どちらかと言えば民芸品に近い要素もある
 もともと寺社の多い土地柄で授与用の土鈴なども多く授与品としての需要も多かった。また京土産としても陶人形は重宝され多くの製品が誕生した。
 清水での土人形製作で、よく伝えられているのは杉谷マサの父中川正房によって制作が始まったとされている説である。
 それ以外にも清水の豆人形は明治の中頃、清水二丁目にいた井上某であるという説もある。その近くで小物土人形などをつくっていた河原林平太郎夫婦や添田リン(杉谷マサの叔母)などもつくっていた(奥村寛純、1981)。初期の頃は清水の一文人形として升で量って売る「はかり人形」として売られていて50種類あまりの種類があった。いろいろな種類の組み物がある。招き猫はその中の縁起物として売られていた。後に招き猫単独でも販売された。このあたりは清水独自の土人形であった。これらの土人形や博多由来の陶人形、さらにそれから発展した創作人形と他の郷土人形にはない独自の発展を遂げてきた。
 ここでは特に土産品として生産されたであろう人形を何点か紹介することにする。いずれも生産者は不明である。

 ※「京陶人形」は商標登録された名称である。

 清水人形清水豆人形大山人形はそれぞれの項目を参照されたい。

当「ねこれくと」の招き猫・猫図鑑では「京陶人形」・「清水人形」・「清水豆人形」・「大山人形」・「まじない人形」など清水周辺で制作されている(されていた)土人形はあまり明確な種類分けをしているわけではない。

「清水坂懐想 京人形師高橋毅ヲ(たかし)師に聞く」   京洛おもちゃ考(奥村寛純、1981)より引用  著者注は奥村寛純による
豆人形
 その当時、私の家のすぐ隣に後藤さんという家がありました。そこの奥に、多分この人は姓が異なっていたと思いますが、
お婆さんが住んでおられ、豆人形を作っておられました。よくそこへ行って土をなぶらせて貰ったものでした。
私の家でも土製の果物などを作っていましたので土はいくらでもあるのですが、自分の家で土をなぶっているより、
他家へ行って土をなぶっている方がおもしろいという気がしたのです。
それでこの豆人形を作っておられるお婆さんの横で土いじりをして遊ばせて貰ったことが未だに私の脳裏にやきついています。
 今申し上げました私の家の隣の他にも、私の家から5−6軒東に井上さんという家がありました。
ここでもこの豆人形を作っておられました。それから又、私の家の5−6軒西に、河原林さんという家がありましたが、
ここでもお爺さんとお婆さんがおられて、お二人でこの豆人形を作っておられました。
(筆者注=なお、この他に添田リン、明治元年生で二十年死亡も七十六−七歳までつくっていた。現在の作者杉谷マサさんのおばさんに当たる)
この河原林さんでは、他に小さな兵隊人形や「土の弁当箱」などもつくっていました。
大体、清水坂で当時作られていたのはこの位のものでして、それ以外にも人形や玩具といったものがたくさん店頭に出ていましたが、
実は京都一円で作られたものは案外少なくて、瀬戸あたりから来ていたものが非常に多かったように考えられます。
もっともその頃には私の店のかけ出しのところで売っていましたのは、ご近所で売られているものもだいたい同じようなものでした。


 ここではどちらかというとお土産に近い製品であるが気に入っている作品をいくつか紹介する。ただしどれもどこで製作しているかは不明である


花猫土鈴

石山(1994)に京みやげの小猫鈴や
平田(1996)に花猫として掲載されている
仔猫の土鈴に菊や四つ葉のクローバー、
チューリップ、サクランボなどを
あしらったかわいい土鈴
画像の猫には椿が描かれている。
緑の首玉に金の鈴が描かれる
水引と紐の土鈴紐がつき金属の鈴がつく

高さ62mm×横42mm×奥行42mm



         
丸猫土鈴

白猫と黒猫のまん丸猫土鈴
正面には「福」の文字
小さな土鈴でシンプルなフォルムだが
丁寧に作られている


高さ42mm×横39mm×奥行39mm
赤い首玉に
白猫には赤の水引
黒猫には白の水引がつく
尻尾はない
後ろ足の配置が絶妙な位置にある
爪も描かれている
 



夫婦招き猫

小さな雄猫と雌猫が赤い座布団に座っている
小さな作品だが細かいところまでよく表現されている
首玉、鼻、口、耳は同色の朱で描かれている
雄猫には金の鈴が描かれている
前では2匹が手を取り合っているが、
後ろでは雌猫が雄猫のしっぽをつかんでいる姿が微笑ましい
細かいところまで丁寧に作られている

高さ34mm×横32mm×奥行21mm
(座布団を含まず)


 かつてよく製作されていた小判乗り招き猫。この猫のように升に入った小判の上に乗るものもあれば、小判の上に直接座り招く猫もいる。いずれも小型ながら丁寧に製作されている

小判乗り招き猫

小判があふれる升の上に座る招き猫
升には大入りの文字がある
退色しているが赤い紐の首玉を巻く
鈴は描かれている
古い作品で升や小判に乗る招き猫はよく作られていた


高さ49mm×横24mm×奥行24mm
(横と奥行は升の大きさ)



  京都の伝統工芸「京陶人形」 (京都伝統工芸議会)
  京陶人形 (京都の伝統的工芸品等) (京都府)




参考文献
日本郷土玩具 西の部(武井武雄、1930 地平社書房)
全国郷土玩具ガイド3(畑野栄三、1992 婦女界出版社)
おもちゃ通信200号(平田嘉一、1996 全国郷土玩具友の会近畿支部)
招き猫博覧会(荒川千尋・板東寛二、2001 白石書店)
京洛おもちゃ考(奥村寛純、1981 創拓社)
土の鈴(石山邦子、1994 婦女界出版社)