河村目呂二の手紙展

                   ~過去から未来へつながるこころ~ 


 今年3回目の軽井沢木通庵での企画展。今回は目呂二の元へ届いた手紙や葉書で交友関係を追う企画。実に多彩なメンバーだ。こういった企画で目呂二側からたどっていかないとなかなかたどり着かない方々が多い。我楽多宗や郷土玩具関係者なら予想はつく。それでも木子七郎側からたどっても建築関係ばかりでなかなか目呂二にはたどり着かない。
 大きな博物館や資料館ではなかなか見られない貴重な機会であった。

渋滞を避けるため、いつも通り夜中に出発して横川SAで仮眠  朝になると青空が拡がり駐車場は混んでいた
追分の駐車場に移動する さすが標高1000mでは紅葉が進んでいる
用水を渡り木通庵へ いよいよ開館
企画展初日に訪問した
もしかして訪問第1号?


  目呂二の手紙展 ~過去から未来へつながるこころ~
朝方気温は一桁まで下がった
清原ソロさんの100歳を祝っての企画展開催だったかもしれないが、
残念ながらソロさんは9月24日に
目呂二とすの子、そして夫の清原健司の元へ旅だったのだそうだ

何回かお会いしたことはあったが、もっといろいろ聞いてみたかった
これで戦前のことを直接知る証人がいなくなってしまった
思えば目呂二の命日も9月26日だった



下 自画像は服装からけっこう若いときではないかとのこと
落款は「木通」なので後に押した可能性があるとのこと
展示目的の方、通りすがりの方、入れ替わり訪れる 「目呂二くさぐさ」の表紙にもなった自画像
主に親族関係者とのやりとりの葉書 動物園のような4匹の友達と(大正3年)
目呂二がよく使っていた音符マーク いずれも大正5年(1916)ころ
  すでに落款として完成?(大正7年)
ラフター(いわゆるジャズ招き)の誕生  
ラフター検討過程 清原健司から目呂二宛ての書簡がおもしろい(昭和24年)
昭和24年11月11日の葉書では
まだラフターのポーズを検討している
11月14日の葉書では
大まかな原案はできていたようだ


清原健司からの書簡を見るとすの子が東京で
せっせとラフターや縁福猫を制作している様子がわかる
彩色のため並んでいる人形もラフター17個、
大猫2個、中猫4個などと具体的な数も書いてあり
小規模な受注生産であったことがわかる
まさに家内手工業であった
  我楽多宗を中心とした封筒版画の和綴じ本


名古屋のイベント出品の「カマキリ」を5体届け、
さらに5体制作
新作の「てふてふ」ができあがる見込み

「カマキリ」は作品が残されており、展示されたこともあった陶製の猫 
「てふてふ(ちょうちょう)」は見たことがないという
気になったので保存してあった画像を調べてみたところ
下のような画像が出てきた
ただしこの猫はブロンズとあった
目呂二は似たような見上げる構図の猫をいろいろ制作しているようだ

ちょっと気になる猫

左 ネットオークションに出たもののようだ
ブロンズ製で題は不明
高さ20.8cm
昭和20年代の作とある
龍興の銘あり
下の石灰岩(大理石)の台は後のものと思われる


※出品者は「龍興」は戦後に使っている銘なので
昭和20年代と判断したのかもしれない
書画ではもっと前から使用しているのでどうなのか?
彫塑や焼き物の銘がどうなっているか
見るチャンスがないので調べてみたい
下の石灰岩(大理石)の台は後のものと思われる
はたして本当にブロンズなのかそれとも焼き物なのかは詳細不明

掲載許可を取っていないのでご連絡いただければ正式に申請いたします
 
「朝」 猫好きなら猫あるあるといった絵である 目呂二の最後となった葉書


 
数々の交流の記録
三田平凡寺(1876-1960)
趣味人、蒐集家


松平康荘(1867-1930)
旧福井藩当主

木子七郎(1884-1955)
建築家






下 東郷彪(1885-1969)
官僚、政治

黒猫荘(こくびょうそう)でよく使われた
黒猫のデザイン
杉山長谷夫(1885-1952)
作曲家、バイオリニスト、音楽教育者
夏に開催の大正グラフィック展を参照


野口雨情(1882-1945)
詩人、童謡民謡作詞家


中山晋平(1887-1952)
作曲家
雨田光平(1893-1985)
彫刻家、箏曲家、ハープ奏者

「龍興」の号や墓石の「呂」などは雨田光平の提案だったようだ
有坂與太郎(1895-1955)
郷土玩具蒐集家

有坂與太郎の文字は
ひじょうに個性的だが縦に伸ばした文字も
バランスがとれている
右下の画像は
いろいろな場面で紹介されている
サイクリング風景
武井武雄(1894-1983)
童画家、版画家、童話作家

サイクリングの時のラッパは
豆腐屋のラッパが使われていたことがわかる
料治熊太(1899-1982)
美術評論家、随筆家


「目呂二抄」や「銀花」にも
 


 
建築家として有名な木子七郎だが、
猫との関わりはネット上でもなかなか出てこない
建築科の裏の顔としておもしろい
専門家や学者などは
意外な裏の顔(趣味)を持っている方が多い
木子七郎は目呂二に追加細作依頼しているようだ
水谷八重子(初代)の 書簡は初代縁福猫の賛助の承諾だったはず
まだ20代後半だった
二代目水谷八重子さん(1939-   )にうかがったとき
「母は猫に興味があった記憶がない」ということだった
昭和14年生まれなのですでに子供のころは終戦前後なので
すでに蒐集した黒猫などは
失ってしまった時代だったのかもしれない
   目呂二の招き猫 その1 縁福猫


なお、過去にねこれくとの「初代水谷八重子氏と猫 その後」
木子七郎が貯金玉蒐集家の小島勇之助に送った葉書で
高さ1m程の黒猫を水谷八重子に贈っているようだが
果たしてもらったのだろうか?

田部重治(1884-1972)
英文学者、登山家
加藤泰三(1911-1944)
彫刻家、画家、登山家
 荻原井泉水(1884-1976)
自由旋律の俳人、俳論家
 亀高文子(1886-1977)
洋画家
 


「閑かに舞ふて散ってゐる話ごえけむりのあたり」 数々の年賀状

俳画(上左)と年賀状(上右)
画と句は関連があるとは限らないと以前聞いた


堀智恵子からの書簡と
教え子が撮影した清原ソロさんの写真がさりげなく置かれていた(右)
「陽咸二展」に出品された陽咸二から目呂二への葉書  トラ猫?とねずみの葉書もスクラップされている
斎藤昌三(1887-1961)
古書学、蒐集家、発禁本研究家

目呂二の没後も交流が続いたようで
コレクションの散逸を危惧している

猫のコレクションは戦災でなくなってしまったが
すの子により資料はしっかり残されているので
現在目呂二の足跡を辿ることができる
すの子宛の手紙


標高の高い軽井沢は一足早く秋が進んでいる
ミニ盆栽もそろそろ冬支度か
木通庵周辺の木々も色付き、落葉を始めている どんぐりがたくさん落ちていた
インスタに時々出てくる猫 見上げると紅葉
ギボウシかと思ったら違うようだ そろそろ家路を急ごう
結局3時間ほど滞在してしまった
ツタが赤く染まる すでに駐車場は満車
昼過ぎになると追分の駐車場も満車になっていた
駐車スペースをはみ出して車が駐まっている
浅間山も雲に隠れてしまった
道路が混まないうちに早く帰ろう


 来年はマネーキー100周年だそうだ。それにちなんだ展示が見られそうだ。





         
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