1月31日(木)
1月も終わり
今朝は晴れてはいたがかなり冷え込みがゆるんだ。今日で1月も終わりだ。日の出もだいぶ遅くなってきた。わずかであるが日の入りも遅くなり昼間が少しずつ長くなってきた。そうは言ってもまだ冬真っ盛りで寒いのに代わりはない。
本日午後から地域の人を招いて公開した。ちょっと風が強くなり寒いので出足が悪くなった。
昨日から廃棄予定の薬品の再利用としてニトロセルロースをつくる。まあ、取り扱いさえきちんとすれば、ちょっとした演示にはいいだろう。
中国で製造された餃子に混入したらしい農薬で今日も一日大騒ぎだった。
1月30日(水)
久しぶりに10℃を越える
1月12日依頼8日ぶりに気温が10℃を越えた。ちなみに12日は雨であまり気温が上がらなかったようだ。ほんの少し暖かくなるだけでも体感的にかなり違う。
同時間に開催された男子ハンドボールとサッカーをテレビで交互に見る。やはり落ちつかない観戦だ。
1月29日(火)
トム君三回忌
トム君が亡くなって今日で2年になる。早いものである。
トム君が天国へ持っていったエサの缶が今も残っている。よく見ると今ある製品とほとんど同じデザインだが、ほんの少し違いを見つけた
少しずつ記憶から遠ざかっていく。そういえばまだトム君のメモリアルページが書きかけだった。
1月28日(月)
馬木の耳かき
現在使っている耳かきはかなり前に深大寺のだるま市で買った「馬木の耳かき」だ。かつて巣鴨のとげ抜き地蔵など露店に店を出し販売していたものだ。高価だが質のいい耳かきとして有名だった。以前踏んでしまいヒビが入ってしまったが、接着剤とヤスリでほぼ完璧に修復し今では問題なく使用できている。もう一本予備にほしかったのだが、その後この露店を深大寺で見かけることはなかった。
何年か前、二代目の馬木建一さんが亡くなったと風の噂に聞いた。昭和20年代の初めから初代によって始まられた耳かき作りは2代目建一さんに引き継がれたが、残念ながらなくなったことにより廃絶してしまった。馬木さんは耳かきしかつくらない職人でスス竹製とサラシ竹製があった。タイプは片側だけと大小両側に掻き出し部のある2タイプがあった。要するに全部で4タイプである。しかし各自の好みなどの併せて調整してくれるので、まるでオーダーメイドのような耳かきとなる。ちなみにスス竹両側タイプが2980円と高いが一生ものである。サラシ竹片側タイプが980円で一番安い。今持っているのはサラシ竹両側タイプでスス竹のものがほしかったが結局叶わなかった。馬木の耳かきは廃絶してしまったが、先代の兄弟子で原田さんという方が引き継いで「原田の耳かき」として現在も制作販売されているらしい。調べてみると原田の耳かきもすでに2代目に入っているようだ。今度巣鴨の偵察に行ってみよう。
1月27日(日)
ムラサキツユクサを移植する
午前中からバスケットボールの応援に行く。今日は天気がいいが風があり寒い。体育館の中は冷え切っていて外より寒いくらいだ。ついでに体育館の前にあって以前から狙っていた、ムラサキツユクサを事前に許可を得ていたので、もらって職場に移植する。スコップを持ってウロウロしている姿はさすがに怪しい。予想通り、許可を得ているのか質問されたが、そこはスムースにパスして事なきを得た。
近くのマンションもどんどん完成に近づいているが、わが家の近くの六差路の風景もまた変わりそうだ。今建てているマンションから六差路方向を見ると1年後にはまたマンションが建ちそうだ。引っ越してきてわずかの間にこの近辺もずいぶん変わってきた。
1月26日(土)
近所のマンションお披露目
近所に建てているマンションが覆いをはずし姿を現した。300坪近くあった個人宅の跡地だ。更地になっている写真はちょうど1年前の2007年1月26日撮影。4階建てとはいえやはり大きい。わが家はまったく影響がないが、同時に分譲された一部の家は影響が大きい。
近くのコンビニでイーバンクに入金する。ネット上でも入金が確認できた。実質、通帳も店舗もない銀行だが、便利に使えそうだ。
いつものようにメロ君を連れて実家へ食事に行く。前回お漏らししたので、今回はトイレ付きだ。すると今までやったこともないのにトイレに何回も入る。これでは毎回トイレ付きでないと行けなくなる。ポータブルトイレを考えなくてはいけないか?
1月25日(金)
ネットバンキングの準備をする
帰りがけに局留めにしてあったイーバンクのカードを取りに行った。ネット通販など何かと振り込みが多くなると銀行で振り込むのは面倒だ。万が一の際のリスクを最小限にするため、遅ればせながら電子決済専用の口座を作った。カードが届いたので登録手続きをする。これでかなり決済がすばやく、また楽になるはずだ。
1月24日(木)
もうすぐ節分
職場の同僚の親族のお通夜に行く。ひじょうに寒い。
もうすぐ節分。今年は日曜日なので昨年に続き、自性院の節分会に行けそうだ。スーパーに行ったついでにヒイラギを買ってきた。
1月23日(水)
東京・雪
通勤途中に隅田川を見ると浚渫(しゅんせつ)船がかなり橋に近いところで作業をやっていた。近くには警戒船なるものもいて物々しい。
朝から東京で雪が降った。朝方はまだちらつく程度だったがだんだん本格的な降りになってきた。たいした降りではないと思っていたがけっこう地面は白くなっていた。
昼過ぎにはもうやんで、まさに都会の淡雪だった。北海道ではこんなのは降雪のうちに入らないだろう。
1月22日(火)
猫に薬を盗られる
今日も寒い。明日はまた雪の予報が出ている。わずかながら積雪がある予報もあれば、都心ではちらつく程度という予報もある。どちらにしろそれほど多くは降らないようだ。
今日も月は雪雲にかすんでいる。
そろそろ1月も下旬になり花粉に注意しなければならない時期になってきた。今年は昨年よりかなり多そうだが、昨年が少なかったので、まあ例年並みだろう。予防を兼ねて今日からストックしてあった薬を飲み始める。薬の袋を出す音がするとメロ君が条件反射のように反応する。薬の写真を撮ろうとしていたら持ち去られてしまった。
1月21日(月)
大寒
昨夜から心配していた雪も空振りに終わった。予想されていた低気圧がそれほど発達しなかったのとかなり南側を通過したためで、さらに北から南下するはずだった寒気も少し西寄りから吹き込んだため雪雲が発達しなかったらしい。それでも寒かった。一日中雲がとれず、ひんやりした一日だった。そうだ今日は大寒なのだ。職場の窓から外を眺めるととなりの防火槽に氷が張っていた。
夜になっても雲がとれず、雪雲に月もかすんでいた。
1月20日(日)
雪雲近づく
天気が下り坂に向かっており寒い。まさに温暖前線が近づいているような天気だ。
今夜から明日にかけて低気圧が本州南岸を通過し、東京でも雪が降りそうだ。明日は早めに起きて対策を練らなければ。
1月19日(土)
メロ君踊る
正月にゆっくりできなかったので昼ごろ母親がやってくる。しばしのんびり。
リビングの蛍光管を交換する。やっと落ち着きを取り戻した。やはり明かりは明るければいいものではなく、色温度も大切だ。それにしてもマンションを見ていると電球色が目立つのに、以外に市販されている電球色の蛍光管の種類は少ない。どうしても一般の昼光色と比べると割高になってしまう。
ホットカーペットの上でメロ君がねじれて寝ている。近くにはくわえてきたパタパタがある。決してやらせではない決定的瞬間。
1月18日(金)
フローリングを考える
今日も気温が上がらない。
いよいよフローリングを張り替えてリフォームを本格的に考えたくなった。最初にやっておけば、安く済んだのだが、やはりり買うのが精一杯で床材までは手をかけられなかった。猫がいるので少し濃いめの色の方がいい。しかしあまり濃いと部屋が暗くなってしまう。頃合いが難しいところだ。フローリングを換えるとドアも無垢ものに換えたくなってしまう。どの辺で妥協するかが思案のしどころだ。
無塗装のカリンなら一畳10000円程度から材料が入手できそうだ。
猫のトイレは合板のままがよさそうだしどうしようか。
1月17日(木)
蛍光管切れる
今年初めて医者に行く。血液検査で定期検診。
リビングの蛍光灯が切れた。しかたがないので、ストックとして保管してあった昼色光の蛍光管と交換する。もうかなり使っていたのでなんと蛍光管の樹脂部分が劣化してボロボロになっていた。こんなのは初めて見た。3本入っている蛍光管が接近しているのでその熱で劣化したのかもしれない。たしか引っ越し当初に交換したのでもう6年ほど使ったことになる。けっこうもった。次に交換することにはプラグも劣化しているかもしれない。昼色光に交換したが、やはり落ちつかない。どうも明るくて冷たい感じだ。早く電球色の蛍光管を買ってこなくては。
1月16日(水)
東京初雪だった(らしい)
ニュースを見ると東京にも初雪が舞ったらしい。同僚の話を聞くとちょっと内陸では積雪になったらしい。
通勤途中に隅田川を見ると、浚渫船だろうか船が慌ただしく行き来していた。タグボートも見える。空も水も寒々とした冬の風景だ。
1月15日(火)
シリア・ポールについて
オークションで落札した、シリアポールの「MAI」が到着した。40年近く前、ニッポン放送の「ザ・パンチ・パンチ・パンチ」でしゃべっていたころの声が蘇る。愛聴盤になりそうだ。落ち着いた感じの、日本インドのハーフでエキゾチックな雰囲気をもった人だった。
大瀧詠一作曲作詞で日本のカバーソングとしては最も多くのアーティストに歌われた歌であるらしい「夢で逢えたら」の決定版とも言われているのがこの人だ。それが1977年。
それから12年たった1989年に発表されたこのアルバムでもまったく雰囲気は変わっていない。そこで引っ張り出してきたのは「All About Niagara」(八曜社 1982)。大瀧詠一はシリアポールに対してティーンでは話が合わない、理解がない…ということで、「忘れたいのに」のメロディーをとっていたシリア・ポールを抜擢したようだ。またその声にも一言述べているがここでは省略。あらためて読んでみるとおもしろい。
ちなみに関心がなかったので知らなかったが、
キンモクセイの「夢で逢えたなら」はシリア・ポールのアルバムジャケットをモチーフにしているのだそうだ。なるほど。アッ!、キンモクセイはエンジニアが吉田保だ!
さらに調べてみると、週刊プレイボーイでヌードを発表したのが78年。ちょうどこの頃活動の幅を広げようと模索していた時期のようだ。
「モコ・ビーバー・オリーブ」のメンバーでananなどのモデルをしていたビーバー(川口まさみ)は1948年2月生まれでもうすぐ60歳だそうだ。大瀧詠一も今年還暦。たぶんシリア姐さんも還暦前後のはず。風の噂では現在はアメリカで仕事をしているらしい。
時がたつのは早いものだ。
1月14日(月)
寒い!!!
本日東京の最高気温は6℃の達せず。陽射しもほとんどなく、寒い。
わずかに残っていたモミジの葉も完全に落ちてしまった。モミジの葉はすべて散ってしまったが、もう一本種が落ちてはえてきた小さなモミジはまだ赤い葉を付けたままだ。まだわずかに秋の名残が残っていた。
すでに馬酔木が開花の準備を着々と始めていた。
昼過ぎから、埼玉にある「生活創庫」を見に行く。アウトレット建材など結構おもしろいものが見つかる。今回はフローリング材を見に行くためだ。そろそろ合板の床材にも飽きてきたので無垢材で張り替えてみたい。リビングだけならけっこう手ごろな価格でやれそうだ。ウォールナットはいいが、少し色が黒すぎるか?
往復に時間がかかったため、昨日と同じで半日つぶしてしまった。
途中羽織姿の集団がいた。そうか今日は成人の日だった。ハッピーマンデーですっかり成人の日も色あせてしまった感じだ。それにしても七五三より和服が似合わない集団だ。
今日は足利の繭玉市だったそうだ。しばらく行っていない。毎年13日ということなので来年はちょっと無理か。
1月13日(日)
ジョイフル本田瑞穂店へ行く
午後からジョイフル本田へ出かける。ラジオのコマーシャルで存在は知っていたが、どこにあるのかも知らなかった。メットで調べてみると巨大ホームセンターのようだ。どこも東京ドーム何個分という表し方をしている。大きすぎて東京中心部には作れないのだろう。埼玉県と東京都には1店舗ずつしかない。幸手店と瑞穂店を検討し、瑞穂へ行くことにした。かつての日産の跡地に建てられたようだ。
到着するとさすがに広い。一日遊べそうだ。ペットコーナーだけでも結構広い。見て歩いているとけっこう不思議なものもある。野良猫捕りかと思って近づいてみるとヘビ捕り器だった。
ショーケースの店請を探したが、残念ながら同じ規格のものはなかった。ちなみにいつも取り寄せているメロ君のドライフードもなかった。これだけの大店舗でもなかなか品揃えは難しいようだ。これでショーケースの展示方法はまた見直しを迫られることとなった。
往復に時間がかかったので半日つぶれてしまった。
CDの1枚がメール便で届いていた。
帰宅後、実家に食事に行く。メロ君お漏らし。お腹の調子が悪かったようだ。
1月12日(土)
かっぱ橋へ行く
今日は雨が降って寒い。洗濯もできないので昼ごろから、かっぱ橋にショーケースの棚ガラスを買いに行く。一尺×三尺で1枚2100円。2枚で税込み4400円也。これでかなりショーケースの収納力が増すはずだ。
かっぱ橋を歩いていると、いろいろなものが目に飛び込んでくる。食器も安いものがあるので手を出したくなるがここは我慢。石焼きビビンバ用の13cmの石鍋が1300円だったので買ってしまった。食塩水につけると割れにくくなるというので、しばらく浸け、油を塗って仕込みをする。連休中に石焼きビビンバをつくってみよう。
帰宅後、ショーケースにガラス棚をセットしようとすると、何とホームセンターで買ってきた棚受けの規格が違う。最近買った方は問題ないのだが、以前購入した新日軽のケースは棚受けの規格が違った。しまった見逃していた。さてどうするか?
イーバンク銀行に書類を出す。できるだけネット決済はクレジットを使わずにこちらの口座を使うことにしよう。
1月11日(金)
鏡開き
世間では鏡開きだったが、準備をし忘れたので延期になった。そもそも神様が鎮座する鏡餅は松の内が明ける15日まではおいておくらしい。
メロ君ショーケースに入って遊ぶ。迷惑なんだけど。明日は棚ガラスを買いに行くとしよう。
久しぶりにグーグルマップの航空写真を見ると写真も更新されているようだ。実家を見るとまだ環状八号線が開通していない。ということは2006年の春以前ということになる。よく見ると道路に車が止まっている。白いボディーにサンルーフが2ヶ所見えるのでたぶん=^・^=の車だ。ということは土・日のどちらかに撮影された可能性が高い。
1月10日(木)
CDを買う
ネットオークションでCDを2枚落札する。一枚は先の「モコ・ビーバー・オリーブ」の再発ものだ。過去2回再発売となっているが、どちらも廃盤となってしまっている。オリジナルは1969年発売のLP.。ほぼ同時にLPもオークションに出ていたが、こちらは5500円まで価格が上がってしまったので断念。ライナーは現(株)フジパシフィック音楽出版
代表取締役会長の朝妻一郎が書いている。
もう一枚はその中の一人シリア・ポールの1989年発売のアルバムだ。これも発売されていたのを思い出したが、買ってはいなかった。今回適当な価格で出ていたので購入した。
1月9日(水)
メロ君大台に乗る
ついにメロ君体重7kg台になる。メインクーンは3歳あたりまでは緩やかに成長するというので8kg位になってしまうのだろうか。最近は抱くというより、抱える(かかえる)という状態になってしまった。キャリーケースの中でも方向転換がやっとになってしまった。
1月8日(火)
本格的に仕事開始
今年の仕事が本格的に始動し始めた。4日間を乗り切ればまた三連休だ。張り切っていこう。
この3ヶ月は通常業務にくわえ、冊子の編集もあるし、大きな行事も控えているのでけっこう忙しくなりそうだ。
1月7日(月)
仕事開始
仕事開始といってもまだウォーミングアップで本格的には明日からだ。
今日は陽射しもなく、寒い。それでも曇っていたせいか、朝の冷え込みはそれほどでもなかった。夕方過ぎから小雨が落ちてきたので、余計寒く感じた。
門松をはずす。松の内というのは正月の「松飾り」つけておく期間だが、最近では1月7日ではずしてしまう場合が多い。本来は小正月の15日までを「松の内」というらしい。神様が鎮座するための場所の鏡餅も鏡開きが早まっているようだ。年中無休、元旦から商店が開いている昨今では、神様も落ちついて下界にいられないのだろう。
1月6日(日)
高崎だるま市へ行きそこない、「モコ・ビーバー・オリーブ」の消息を追う
このところ雨が降っておらず、乾燥している。室内のデジタル乾湿計もついに25%を下回り、表示不能となってしまった。天気はよく暖かい。
今日は高崎のだるま市。出かけようと思ったが、何となく腰が重い。だるま市は今日の昼から明日の昼にかけて開催される。明日が休みならいいのだが明日から仕事が始まることを考えると、何となく出そびれてしまう。結局今年は行かずに終わってしまった。暖かい日だったのに外出もほとんどしなかった。
ふとしたことから、ネット上で「モコ・ビーバー・オリーブ」の消息を追うことになる。この不思議な名前は1968年から1970年代初めにかけて(実際には15年ほど放送されていたらしいが)ニッポン放送の深夜帯に放送されていたラジオ番組「ザ・パンチ・パンチ・パンチ」の初代パーソナリティ達だ。全員オーディションで選ばれた、高橋基子(モコ)、川口まさみ(ビーバー)、シリア・ポール(オリーブ)の女性三人に番組は支えられ、現団塊の世代から大きな支持を得ていた。もう40年ほど前なのでみんないい年になっているはずだ。還暦を過ぎているのだろうか。
ということで、ネット検索をするといろいろ情報が拾え、比較的最近までの情報を追える場面もあったが、現在の3人の消息まではわからなかった。
ついでに3人のCDも追いかけて久しぶりに聴いてみようかな。みんなおばさんになってしまったが、こっちも年をとっているのだからしかたがないか。
1月5日(土)
かっぱ橋に出かけるが不発
かっぱ橋に棚ガラスを買いに行く。今日から店を開いているところも多く、かっぱ橋商店街は人通りが多かった。しかし残念ながら目的の店はまだ休みだった。しかたがない、また来週来ることにしよう。それまで招き猫の引っ越しは中断。
旭土人形の二尺の大猫を何とかケースに入れたかったが斜めにするという裏技を使っても入りきらないことがわかった。残念ながらまた寝室に戻すことにした。
最近メロ君はテーブルの下のイスに隠れて寝るのが好きなようだ。うっかりするといることを忘れてしまう。
今日は一日寒かった。明日はかなり暖かくなるという予報だ。高崎のだるま市が昼から始まる。行くかどうか迷うところだ。
1月4日(金)
ドイト与野店が・・・
庭を造りたいのでホームセンターのドイト与野店に行く。しかし・・・。ドン・キホーテに変わってしまっていた。正確にはメインの建物がドンキになっていたというべきか。今まで品数が多く、少し遠いが時々利用していたのに。
夏に北海道の白糠町で手に入れた鍛高ラムネ(しそラムネ)の最後の一本を飲む。士幌農協のポテトチップも最後の一袋が今日なくなった。しかし今年の北海道行きのフェリー予約まであと5ヶ月となってきた。
1月3日(木)
子易神社に初詣
地元の氏神である子易神社に初詣に出かける。
地元のレストラン「オオタニ」のとなりに財団法人東京保険会病体生理研究所をみつける。こんな施設が地元にあるのを今まで知らなかった。
途中の東上線の踏切際がかなり広い更地になっていたが以前何があっただろうか、思い出せない。
子易神社は近くにある熊野神社や氷川神社に比べると何となくマイナーな存在だ。しかし秋には大祭で御輿が出るし、地元では厚い信仰を持っているが如何せん、昔の区割りとは関係なく幹線道路ができ、町名割りがなされたため、わが家などはまさに子易神社の勢力の外縁にあたってしまう。いわば川越街道で分断された飛び地の様なものである。
お札と破魔矢で2100円也。
1月2日(水)
メロ君おやつをもらう
今日は一日のんびりするはずだった。が弟一族が一日早くやってくるという連絡が入り、昨日から泊まりに来ていた両親は夕方から帰ることになってしまった。
近所のペットショップでメロ君、マグロジャーキーのようなおやつを買ってもらう。
1月元旦(火)
また新しい年がきてしまった
年賀状書きをしていたら年が明けてしまった。
新年おめでとうございます
元旦に年賀状を投函する。
初詣に出発したのはすでに0時半近くになっていた。毎年恒例の浅草七所七福神めぐり。もちろんスタートはあの今戸神社。スタートが遅かったので並ぶ時間もかなり短かった。次は石浜神社。こちらも人はかなり少なくなり、いつも通り甘酒をいただく。そして橋場不動尊ここはまさに地元のお不動様といった感じだ。待乳山聖天はいつも通り昇殿する。次は吉原神社。ここはふだんは無人だ。そして次はあの酉の市でごった返した鷲神社。ここはみんな一人(グループ)ずつ参拝しているので毎年時間がかかる難所だ。残り3ヶ所。矢先神社はかっぱ橋商店街から入ってすぐ、最後は浅草。浅草神社にお参りしてから最後の9ヶ所目が浅草寺。さすがに時間が少し遅くなったので規制はかかっているものの緩やかになり、宝蔵門脇から参道に入れた。さほど待ち時間もかからず参拝終了。帰りにラーメンを食べるのが恒例行事となってしまった。
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今戸神社 |
鷲神社も酉の市とはまったく雰囲気が違う |
初日の出!を久しぶりに見てしまった。
昼ごろ実家へ出かける。