趣味の猫 百種
その後「趣味の猫 百種」の情報が増えましたので、新たに独立させました。一部は目呂二の郷土玩具と重複している部分があります。情報が判明していった過程がわかるようにあえて大きな編集を加えず、時系列的に並べてみました。
1 | 趣味の猫 百種 | ||
2 | 追記1 | 2006年6月11日 | |
3 | 追記2 | 2006年6月16日 | |
4 | 追記3 | 2006年6月25日 | |
5 | 追記4 | 2009年6月 1日 | 目呂二関係者 趣味の猫 百種 |
6 | 追記5 | 2009年6月10日 | Nコレクション 趣味の猫 百種 |
7 | 追記6 | 2009年6月21日 | 岩下コレクション 趣味の猫 百種 |
8 | まねき便り2号 | 2009年9月20日 | まねき便り2号を追加 |
9 | 追記7 | 2010年9月21日 | Nコレクション追加と訂正 |
Nコレクション追加と修正中 | |||
10 | コレクションへ | 2014年3月23日 | これで見納め痴娯の家コレクション |
目呂二の郷土玩具
「趣味の猫百種」は1927年(昭和2年)4月に目呂二自らが制作して頒布したもので、招き猫や郷土玩具に限っていないので猫のフィリックスや猫のミイラ(の入れ物)?なども含まれています。そうは言っても郷土玩具が主体で現在でも制作されているものもありますが、かなりのものは廃絶してしまっています。
当時の頒布会の栞(チラシ)には以下のようにあります。
頒布会のチラシでもわかるように、会員制をとっての限定制作・販売だったことがわかります。はたして何組くらい制作されたのでしょうか。
目呂二の関係者であるUさんが木通庵に残されている資料を調べた中に、「趣味の猫百種」の14体が見つかったとのことでした。同じものがありますので13種類ということになります。
@長崎 #44 | A多摩張り子(八王子) #73 | B多摩張り子(八王子) #73 |
C越谷張り子 #54 | D花巻人形 #43 | E富山土人形 #26 |
F富山 #87 | G今戸人形 #27 | H金沢張り子 #74 |
I鴻ノ巣練り物 #40 | J鴻ノ巣練り物 #30 | K琉球 #80 |
L紐育(ニューヨーク) #40 | M堤人形 #10 |
@このようなオーソドックスなタイプは意外にわからない
A=B 高崎あたりの張り子でしょうか?ちょっと異なるようです。
その後多摩張り子の八王子の古いものに似たものがあることがわかりました。顔などもそっくりの描き方です。
C前垂れの描き方に特徴がある。渋江あたりに似ているが・・・違うな。
D花巻人形 花巻ではよくつくられていた、鼻や口の周りを竃の潜り込み真っ黒にしている「かまど猫(かま猫)」です。
E富山土人形 腰のあたりに牡丹の花をあしらっているものは日光の眠り猫をもとにしています。
Fまったくわからず
G今戸人形 東京の今戸人形で下の2枚の台の間が蛇腹になっていて音が出ます。廃絶していますが「いまの人形」の吉田さんが復元しています。
H金沢張り子 現在も制作され、金沢の「めんや」で販売されている、「うなずきもの」の一種です。。一時期小判をくわえたものも制作され、これは当ミュージアム「目呂二の猫絵」の中にも残されています。
I鴻ノ巣の練り物と思われます。もとは今戸人形を起源としているので、今戸やその符系にある芝原とも考えられます。
Jこれも鴻ノ巣あたりのような気もするが、口の描き方が異なる。
Kこの犬のような黄色い猫はいったいなんでしょうか?もとの猫が黄色かったのか、ニスの色で黄色く見えていたのか不思議な一品です。
L??
M宮城県の堤人形の古作
目呂二は有坂興太郎・武井武雄といった郷土玩具会の大物との親交もあったので郷土玩具に対する情報や知識もかなりあったでしょうし、我楽多宗からもたくさん譲られたのではないでしょうか。
以前テレビの「お宝!何でも鑑定団」で夏目房之助氏が売りに出していたものは、この趣味の猫百種です(一部足りないものがありましたが)。しかも我楽多宗の設立者三田平凡寺(夏目房之助氏の祖父)が所有していたものでした。
追記1(2006年6月11日) 上記の「お宝!鑑定団」で夏目房之助氏の出品した「趣味の猫百種」を落札したNさんからメールをいただきました。落札した猫は少し欠品があり、猫は82体あり、栞数枚と21番から100番までの猫の産地と縮小割合を書いた目録片が入っていたそうです。猫百種の人形の底には1から100まで漢数字で通し番号が書いてあり、その番号と目録を照らし合わせると産地がわかるそうです。 目呂二愛蔵品 @不明ネコ →博多(土)人形 以前も触れたように「趣味の猫百種」にも取り上げられており、その目録の中では「博多 85分の1」と記してあるとのことです。したがって博多(土)人形となります。「日本郷土玩具 西の部」(武井武雄1930)によれば、すでに昭和の初めには博多人形は泥臭い郷土玩具というより、工芸品や土産物の人形となってしまっていたそうです。確かにこの画像を見るととなりの富山土人形に比べればはるかにあか抜けした感じがします。しかしまだ洗練されたデザインの中にも土人形としての雰囲気を持っているような感じがします。 趣味の猫百種 「趣味の猫百種」では目録から A 通し番号73 「八王子 200分の1」 C 通し番号54 「越ヶ谷 5分の1」 J 通し番号30 「鴻巣 10分の1」 K 通し番号86 「琉球 5分の1」 L 通し番号40 「紐育(ニューヨーク) 3分の1」 となっているそうです。 ABは予想どおり多摩張り子(八王子)となります。沢井家あたりのものでしょうか。 C越谷周辺で制作されていた、張り子で現在は達磨は生産されていますが、招き猫はもう生産されていません。かつてだるま市などで達磨と一緒に売られていた越谷張り子の招き猫です。 Jも当初の見立てどおり鴻ノ巣練り物でした。手元にある人形と比較してみましたが、顔の彩色がかなり異なりますが、形は同じでした。 Kの沖縄は確かにいわれてみると沖縄にはこのような色遣いの郷土玩具がありました。 Lの紐育(ニューヨーク)の猫はこの栞がないとわからない海外産の洋猫でした。 ※目録ではJは「埼玉」となっているそうです。この招き猫は今戸のいわゆる「招き猫ピーピー」だと思うのですが、もしかすると本家を摸したものを埼玉(制作されたとすると鴻ノ巣あたり?)で制作したのでしょうか。 若干縮尺の数字に疑問があるものもありますが、この目録は猫百種の全貌を知る手がかりとなりそうです。 なお、猫百種の頒布完了記念に、目呂二が揮毫した鍋蓋を会員に頒布するという記事も栞にあるそうです。「猫の招いた喜び事を逃がさぬやうに蓋をする意味で、縁起の良い柱掛けとなります、ご笑納下さいませ。」(鷲津仲助 昭和3年4月)と記されているそうです。 もしかすると目呂二ミュージアムに載せた鍋蓋は趣味の猫百種を所蔵している方の所有と思われますので、頒布完了記念の鍋蓋かも知れません。 ほぼ同時にUさんからも連絡が入り、14体の底に書かれているナンバーが判明しました。 @#44 AB#73 C#54 D#43 E#26 F#87 G#27 H#74 I#40 J#30 K#80 L#40 M#10 これで@(#44)とF(#87)はNさんの所有品の中では欠品になっているため番号がわかりませんでしたが、Uさんからのナンバー情報とNさんの目録を参考にすれば14体すべての産地が判明することになります。 追記2(2006年6月16日) 名古屋のNさんの目録から@44番は長崎、F87番は富山というご教示を受けました。 @ 通し番号44 「長崎 15分の1」 F 通し番号87 「富山 40分の1」 @は長崎というとまず古賀人形を思い浮かべます。現在も招き猫は制作されていますがかなり異なります。すでに制作されていない型なのか、それともどこか他の失われて産地なのでしょうか。 Fの富山というのも初めて見る形です。特に頭部に特徴があります。やはりかつては多くの制作者がいた富山土人形の一つなのでしょうか。どちらも産地は判明しましたが、正体は依然謎のままです。 追記3(2006年6月25日) 先の名古屋のNさんから趣味の猫百種に添えられていた目録とまねき便り(しおり)のコピーをいただきました。これでどのような産地の猫が頒布されたかわかります。また百猫完了時に記念の品として目呂二自筆の「満音喜」(まねき)の鍋蓋が贈られるとあります。(まねき便り9)これは残念ながら鍋蓋に「満音喜」の文字はありませんが、 おそらくここでも掲載した鍋蓋ではないかと思われます。痴娯の家の収蔵品を収集した岩下庄司氏の名前はまねき便り7に入会者として記されていることから、展示されていた猫は直接購入したことがわかります。ちなみに岩下祥児とは岩下庄司氏のペンネームです。そうなるといっしょに展示されていた黒猫のしゃもじもこの時配られた記念品なのでしょうか。鍋蓋は猫の招いた喜び事を逃がさないように蓋をするという意味だそうです(まねき便り10)。それならば、喜び事をすべてすくい取るなどと考えてもよさそうな気がしますが詳細は残念ながらわかりません。
「趣味の猫 百種」追記4 (2009年6月1日) 昭和2年に頒布を始めたミニチュアの「趣味の猫 百種」ですが、なぜか目呂二の手元には揃った状態で残っていなかったようです。最近になってネットオークションにきわめて状態のいい「趣味の猫 百種」が相当数出品されました。このような状態のよい作品が多くの落札者に分散して落札されたため散逸してしまったのが惜しまれます。目呂二博物館があればきっと展示されたであろう状態の良さでした。幸いにもオークションに出た作品のすべての画像を保存できたため、詳細がわからなかった作品の70%近くを知ることが出来ました。著作権の問題があるので「ねこれくと」で発表するわけにいかず、手元の資料となってしまいました。 そのようなとき、これまでにも多くの情報をいただいている目呂二の関係者のUさんから新たな資料をいただきました。目呂二の親族の方のお宅に百猫があるというのです。Uさんが直接撮った写真ではないようですが、すべて揃っている可能性があるというのです。その後の調査が待たれます。残念ながら裏面の画像がないので通し番号はわかりませんが、とりあえずオークションに出品された百猫の番号と照らし合わせてみると次のようになります。ただし、オークションに出た猫の中にはナンバーのわからないものや判読しづらいものも2〜3品あります。こちらの勘違いなどもあるかもしれませんので、もう少し時間をかけて整理していくつもりです。とりあえず今回は暫定的なものと考えてください。 ナンバーは近いものが多いので、ナンバーごとに並べて撮影された可能性もあります。
趣味の猫 百種一覧(Nコレクション:元三田平凡寺所蔵品出見る百猫) 追記5 (2009年6月10日) 追記7 この一覧は名古屋のNさんもとに所蔵されている目呂二の百猫(元三田平凡寺所蔵で一部欠)の画像を編集したものです。一部は後に足されたものが若干あります。また目録や栞(一部欠)、箱も保存されています。画像のないところは欠品です。 産地に関しては目録にあるものをそのまま記しました。(赤字部分)。#1〜20に関しては目録がありません。おそらく制作が間に合わずになかったと思われます。なお、再考察(をした新一覧(2024)では#1〜20の産地の追加、修正などをおこなっています。ただしまだ最終決定とはなっていないのが現状です。(2024年10月) 痴娯の家コレクションのネットオークション放出による追加編集中(2014年1月19日)
※21〜100の通し番号及び産地、縮尺は添付されていた目録による(赤字部分)
百猫には鍋蓋としゃもじがセットになっていたと思われる。現在完全揃いで現存するものはほとんどないと思われる。これは痴娯の家で保管されていたもの。
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参考資料
参考 十数年前に自性院で正月にもらった、手ぬぐい。 中央には河村目呂二が戦前に直径20cmほどの鍋蓋の裏に彫って残した猫と言葉。 『寝こ寝こと笑う門には福来る』 実際の鍋蓋の裏の絵では口の下のクルッと巻いたところは鈴になっている。また背中にも頭と同じように黒い斑がある。また目は細目ではなく丸目になっている。彫られている文字も上記のとおりで手ぬぐいの 『猫こ猫と笑う門には福来たる』とは異なる。 目呂二は他でも「猫こ猫こ(にこにこ)」を使っているのでこちらの方がぴったり来るように思うのだが、なぜ上記のような表現をしたのだろうか?いつも寝ている猫だから、あるいは花柳界の寝子から来ているのだろうか? |
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自性院に残る目呂二の鍋蓋 目呂二が猫のコレクションを 寄贈したときに 贈ったものだろうか? 猫の歴史と奇話(平岩米吉、1985)より |
岩下コレクションに見る目呂二「趣味の猫 百種」
新潟県柏崎市の小高い丘の上に建てられた『痴娯の家』(現在は柏崎市に寄贈移管)の創設者でもある岩下鼎氏のご厚意により、目呂二関係の画像の使用許可をいただきました。これまで鮮明さを欠いていた縁福猫(痴娯の家タイプ)の正面画像を掲載できることになりました。この場を借りてお礼申し上げます。
なお、このコレクションは国内外の骨董蒐集家である岩下鼎氏の先代で無類の郷土玩具コレクターであった岩下祥児(岩下庄司)氏が頒布当時、目呂二夫妻から直接入手したという点でも価値があります。
残念ながら、百猫は一括して撮影した画像でそれほどサイズも大きなものではないため小さな作品は不鮮明なところもあります。しかしこれだけ揃っているコレクションは他では見られないため、全体像を把握するための貴重な資料になると思われます。それに底には岩下祥児が書き込まれたと思われる産地が記入されているので、分類の上でもひじょうに参考になります。
特に今回の画像から20番は常滑であることがわかります。そうなるとNさんのコレクション中で20番か12番かわからなかった猫は12番の可能性が高くなります。
@ずらりと揃った縁福猫(いわゆる芸者招き)と趣味の猫百種完品 |
A趣味の猫百種 その1 |
B趣味の猫百種 その2 |
C保存状態はかなりよいようだ。 |
D底には岩下祥児(岩下庄司)氏が書き込んだと思われる産地が記されている |
E他では見たことがない鍋蓋としゃもじ。書簡も残されている。 |